愛媛県/松山市の空手道場|一般・女子・壮年・こどもカラテ教室/護身術・武器術 見学/体験可 ★━━・‥…

千葉 聡理 初段 昇段レポート

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 僕が空手を始めたのは幼稚園の年長の時です。
 父や兄が空手をやっているのを見て、最初はあまりやる気はなかったけど、道場には面白い人たちがたくさんいて「ここなら楽しくやっていけそう」と思い、空手をやり始めました。

 やり始めて少し経ったころ、僕の友人の上田君が入ってきました。それからもっと空手が楽しくなり、小学校に入ってからは学校でも空手の話をするようになりました。
 小学校三年生くらいから、伊藤師範と普通に話ができるようになり、稽古が終わった後もいろんなことを教えてもらいました。
 六年生になり、極真空手から高見空手に変わった時から、大会で優勝出来るようになりました。でも、極真空手の時にいた西条道場の上地君に一度も勝てなかったのがくやしく心残りです。

 その少し前から市坪道場に行き始め、神﨑先生や熊田先生、まいちゃん、りゅう先輩、ななみ先輩たちと一緒に稽古をしていました。そこに最高範士の彰先生が教えに来てくれるようになり、知らなかった空手の技やためになる話などたくさん教えてくれました。

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 そして、今年昇段審査を受けるだいぶ前から、セイエンチンや撃砕大などの型をたくさん練習して、審査に向けて頑張りました。
 当日は、腕立てや柔軟などあまり練習してなかったものなどがあり少し不安だったけど、なんとかできました。腕立てをした後は少しふらふらしました。
 一番練習に励んだ型は、自分の中では今までやった中で一番うまくできたと思います。
 でも、自分が一番好きな組手で悲劇が起こりました。
 組手になると急にきんちょうしだし、頭の中が真っ白になり、いつもの自分がしている組手ではなくなり、最悪な結果になってしまいました。
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 一応合格にはなりましたが、来年1月の冬合宿の最終日に道場訓をすべて『英語』で言えるようになってないと黒帯は無し!と最高範士に言われ、今がんばって覚えています。

 ここまで応援してくれた、最高範士や伊藤師範、市坪道場の熊田先生、ななみ先輩、東温道場のみんな、一緒に教えてくれた僕の父の千葉師範代や兄や母に感謝します。
 これまで教えていただいたことを忘れずに、これからも稽古にはげみたいと思います。
 ありがとうございました。押忍
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稲口 めぐみ 初段 昇段レポート

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 高見空手昇段審査を受審させていただき、先日、初段合格の通知を頂くことができました。

 約1年前に師である宇和島道場の中里真也師範から「次の審査を受けましょう。」と言って頂きました。その時、最初に湧き上がってきたものが嬉しいという感情でした。
 もちろん、審査当日までの稽古に自分は耐えられるのか、それまでに必要な技術を身につけられるのか、そして昇段審査を最後までやり遂げる事ができるのかという不安もありました。
 しかし、道場に通う上で1つ明確な目標ができた事、私とは別次元にあると思っていた昇段審査が少し近くなったという事の方が遥かに大きく、それが、嬉しいという感情で湧いてきた理由でした。
 それから、もう一つ大きな理由がありました。それは環境が整い始めていた事でした。その頃の私は仕事、家庭、新しい生活に慣れ始め、そこに週に2~3回の稽古が入っても大丈夫なように調整出来るようになっていた事でした。

 結婚前までの私は、森松道場の平松伸彦師範・廣子師範の元で稽古に通っていましたが、仕事の都合や体調不良により、週に2回の稽古もちゃんと受けられた事はほとんどありませんでした。
 週に1回約20~30分の居残り稽古に間に合えばいい方という時期がほとんどでした。短い稽古時間でしたが、その分集中して時間を無駄にはしませんでした。平松師範・廣子師範には基本や移動稽古を細かく丁寧に指導していただきました。
 うまくいかない時があっても道場に行くことが楽しかったので、日常生活で多少嫌な事があっても稽古が終わる頃には気持ちがすっきりして、明日からも仕事頑張ろう!とリセットできていました。
 それから、少ししか稽古に参加できなかったのに、たまに顔を出せた時は「よく来たね。」と師範方や道場生の皆さんが温かく迎えて下さったのも嬉しかったです。
 都合がつく時は、次も道場に行くようにしようと楽しみになりましたし、元気をもらっていました。
 このような状態でしたので、組手やミット、スタミナ稽古などに手が届くこともなく、一道場生として出来ることのバランスが悪かったと思います。もっと稽古に通うことが出来たら・・・という気持ちがありました。稽古に通える環境が整っている方々がとても羨ましかったです。

 このような経緯がありましたので、中里師範から昇段審査のお話しを頂いた時には、この機会を逃すべきではない、今逃したら2度と来ないと思い、受ける決心をしました。
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 決心をしたその日から審査に向けた稽古が始まりました。それまで手付かずと言ってもよかった組手稽古、筋トレ、スタミナ作り、特に当て身の稽古は辛くて、自分の体力、筋力、スピード、センスのなさを毎回痛感させられました。
 心が折れそうになった時には、少し前までの稽古に通いたくても通えなかった状況の悔しさに比べたら、まだいい方だと言い聞かせました。
 昇段に向けた稽古は決して甘いものではありませんでしたが、この頃から参加し始めた合宿や帯研での稽古が楽しくて仕方ありませんでした。
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 昇段審査本番では、緊張で体が思うように動けないまま過ぎていき反省点ばかりが残りましたが、自分がやる!と決めた事に集中出来たこと、それが出来る環境に今自分がいる幸せを噛みしめられた内容の濃い1年間でした。

 最後に中里師範、平松師範、廣子師範へ
 何の取り柄もない私に、時に厳しく、時に優しく指導して下さり本当にありがとうございます。
 師範方のご指導があり、いつも見守ってくださっていたから、昇段審査を終えた瞬間「10年間稽古続けてよかった、辞めなくてよかった。」と思えました。これからもご指導よろしくお願い致します。

 それから主人へ
 あなたの理解がなければ、初段合格どころか、普段の稽古に通うことも合宿や帯研に参加する事も出来ませんでした。
 いつも快く送り出してくれてありがとう。忙しい毎日を送っているのに協力してくれてありがとう。
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関谷 克二 弐段 昇段レポート

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 2015年秋。審査の規定型である十八(セーパイ)の稽古にもやり飽きた頃、腕立て伏せ百回完遂の目処がたったので二段の昇段審査を受審することにしました。
 
 昇段にあたって、自分に課した課題は二つ。一つは、腕立て伏せにおいて完璧な百回を完遂すること。もう一つは組手において瞬かないこと。どうも自分はコンビネーションの途中で数回瞬いているようで、このことが組手の上達を妨げているように思えてなりません。審査を機会に改善できたらと思い課題としました。
 
 一つ目の腕立て伏せについては、一年前から準備し、拳による腕立てを諦めて掌による腕立てにして、更に審査の内容もハードルが下げられたことから、声を出して気合を入れるまでもなく余裕で百回を完遂することができました。審査日のアドレナリンの分泌量からすれば百五十回までは回数を伸ばせたのではないかと思っています。

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 二つ目の組手については、グダグダでした。瞬かない以前の問題でした。前半で息が上がり、瞬いたかどうかも記憶していない始末でした。

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 自分の空手の第一歩は宇和島道場にて高見総師に教えていただいたことから始まりました。その際に総師が言われた言葉で印象に残っている言葉があります。総師は “自分の経験から稽古すれば五十五歳までは強くなれる。”と言われていたと記憶しています。その言葉を聞いた時には五十五歳など遥か未来のことであり、稽古を怠らなければ強くなり続けることができるという意味程度に解釈していました。しかし、五十五歳がだんだんと近づき、体力が坂道を転げ落ちるように落ちていく今、総師の言葉の解釈も変わってきました。歳を取れば、人一倍の努力を怠った瞬間に上達は止まると言われていたと思えてなりません。
 
 審査を通じて初心に帰ることができ、心・技・体それぞれに課題も見つかりました。今からどれだけ強くなれるかわかりません。私の求める強さは、坂の上の青い天に輝く一朶の白い雲かもしれません、坂を上りきったとしても遥か上空で手が届かないかもしれませんが、今はそれのみを見つめて上り続けます。昨日の自分より今日の自分、今日の自分より明日の自分が強くなること、そして五十五歳を過ぎても強くなり続けることを信じて稽古に励みます。
押忍。

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丸山 哲也 四段 昇段レポート

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 初めて道場へ行った日、空手を修行されている人なら皆さんいつまでも覚えている事と思います。
 このドアの向こうには壮絶な世界がある、そんな気持ちで道場に行かれた方も多いことと思います。

 私もそんな思いで高見空手の前身である極真会館高見道場のドアをあけました。

 しかし、そんな私の想像とは全く別の光景がそこにはありました。「きみ、上手くなったね!とてもいいよ!」小学生の頭を優しくなでている笑顔の指導者がいました。それが今から30年前、高見成昭総師と私のはじめての出会いでした。

 時代は昭和でした、まだお金も車もなく古い自転車をこいで稽古にかよいました。森松道場の平松伸彦師範、廣子師範御夫婦の後輩として、私の空手人生がスタートしました。

 そんな私がやがて黒帯を許され、東京体育館で開催されている全日本大会にまで出場させていただけるとは、その時は私自身もまわりの人たちも思ってもいませんでした。
 入門当初の私は「緑帯ぐらいで適当に辞めてやる」そんないい加減な気持ちで通っておりました。

 時代が昭和から平成に変わり数年後、アメリカから帰国された最高範士と出会いました。それから共に活動を続けて行く中で、空手道に対する考え方、勝負へのこだわりなど多くを学ぶことが出来ました。最高範士も私もまだまだ年齢的にも体力的にも若く、試合に夢中の頃でした。

 最高範士との稽古に夢中になっていたそんなある日、小学生の少女から「せんせい、からてをおしえてください!」と突然言われました、正直驚きました。
 私を初めて「先生」と呼んでくれたこの少女(茂井亜矢香)が私の一番弟子であり、黒帯も取ってくれました。茂井との出会いがきっかけで、総師の認可を受け、極真会館愛媛県支部大西分支部(後の、空手道 高見空手大西道場)がスタートしました。まだ、大山倍達総裁(極真会館総本部)も生きておられた時代でした。

 それからは、本当に人に恵まれてここまで来れました。私のまわりの人たちは、いつでも優しく温かく支えてくれます。苦労を感じたこともあまりなく感謝の気持ちでいっぱいです。

 長く空手を続けると言うことは、当然ながら年齢も重ねると言うことになります。高見空手には藤田先生(74歳/本部指導員)はじめ生涯空手道を邁進されている大先輩方が大勢おられます。
 今年より金澤貴師範(最古参のお一人/南郡)のご提案により「壮年部昇段審査合宿」が行われることになりました。
 
 この審査も私には、まだまだ関係ない、もっと上の大先輩方のことだと思っていた所、そんな私の背中を昇段審査に向けて強く押してくれたのが、今回一緒に受審された眞田一治師範(下波)でした。

 正直、私が受審して良いものか迷いましたが、最高範士の「合格、不合格は指して問題ではない。合格する気で稽古をする日々の生き方が大切である」との教えもあり、受審に挑戦しました。

 受審する以上は、全ての項目で高得点を獲得し、見ている全ての人に文句なく合格だ!と思ってもらうため、強い意志で稽古するも膝を痛めてしまい、そして当日に挑むことになりました。

 当然審査は甘くなく、型が終わった時点では体力は残っておらず、その後の拳立てと組手を完遂出来るのだろうかと気力が無くなりかけた時に、大切な弟子達の顔が思い浮かんできました。
 
 最後の組手は若い中里真也師範(本部内弟子出身)に完敗でしたが、大切な弟子達のお蔭で最後までやり遂げることができました。

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 最後に自分に任された、高見空手道場訓を堂々と言い終えた時、心の中で、ついに私の壮年部としての空手人生がスタートしました。

 昇段を許可して頂いた高見成昭総師、高見彰最高範士に心から御礼申し上げます。

 最後に大切な私の弟子たちへ
 君たちを想う気持ちは誰にも負けません。
 先生を信じてこれからもついて来てください。押忍

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眞田 一治 四段 昇段レポート

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この度は、昇段受審の機会を与えて頂きまして有難うございました。

 本来ならば高見成昭総師、高見彰最高範士より、お声をかけて頂いて受審することになるのですが、今回は自ら高見総師、高見最高範士に強くお願い申し上げ、ご承諾頂きました。
 後々、「よくもまぁ、図々しく自分から言ったものだ」と反省しましたが、自ら申し出たことで後には引けず「やるしかない!」という気持ちが日に日に強くなり、心が折れなかったことにつながったと思います。

 平成26年1月に「空手道 高見空手」が発足し新たに「師範」という立場での昇段審査に挑むプレッシャーは過去の審査とは比較になりませんでした。
 五十路を超えて12年振りの挑戦に若い頃とは違い、頭の中で考えていることと現実の自分の身体の動きとの差にかなりのギャップが生じ、この状況に不満と不安、葛藤との戦いでした。
 
 また私は日頃、道場生に「空手を修行するからには自身の目標を持つように!」と指導致しておりますが、ある日一人の弟子から「師範の目標は何ですか?」と聞かれたことで「よし、昇段審査を」と決意した次第です。
 
 また道場の指導員で息子の寛之が昨年末に「弐段位」を允許されたことに刺激を受け「今しかない!指導者である前に挑戦者でありたい!」と・・・
 
 昇段審査に向けてトレーニング、稽古を積んで行く中で、オーバーワーク気味の疲れた身体に右アキレス腱痛とそれに伴い右ヒザ痛が容赦なく襲ってきましたが、たとえどのような状況であっても「言い訳は絶対しない!」と自分に言いきかせ審査当日を迎えました。
 痛い個所に薬を塗り、サポーターで固めての審査開始となりました。「基本」「移動」「型」「体力」「組手」と進む中で高見彰最高範士がよく言われる「気迫」「気合い」を前面に出し、他の先輩方にも劣らぬ内容であったと実感いたしました。
 そして最後まで気持ちが折れずに戦えたことは今後の私の大きな財産となりました。

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 最後になりますが、「四段位」を允許頂き、高見成昭総師、高見彰最高範士に心より感謝申し上げます。
 また、いつも蔭ながら支えてくれる家族(何はともあれ女房)に大感謝!
 そして共に戦った丸山師範(大西)、藤田先生(本部)本当にお疲れさまでした。
 
 今回の昇段審査で得たものは非常に大きく、正に「お金では買えない貴重な時間」を過ごさせて頂きました。だからこそ、私は早速、次の目標に向かって邁進して行く所存です。
 
 下波道場は小さな道場ですが、これからも地元の行事に積極的に参加させて頂き、信頼され続ける道場で有りたいと思います。
 道場生と共に「高見空手」の更なる発展に尽力して参ります。押忍!
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