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火の玉オヤジの『なにくそ精神!』

 よく皆さまから正拳コラムの情報は何処で仕入てるんですか?と質問を受けます。それは過去に読んだ本や、友人知人・先輩諸兄との武道談義、アドバイスから得た情報を学んでおります。

 そして最近、ある先輩より「ビジネスからも『武』を学べるよ」とのアドバイスを頂き、何冊か本を紹介して頂きました。

 今まで私は、武将や剣豪など武道家ばかりを訪ね、経済界の『武』と言われてもピンとこなかったのですが、多くのサムライが経済界にいたことに感動しました。これは武道の世界にいる私よりも、ビジネスの世界でご活躍している皆様の方が私よりお詳しいと思いますが、以下に紹介して頂いた本の主なものを列記します。

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『 もう、きみには頼まない 』文春文庫

「用があるならそっちが来い」と、マッカーサーの出頭要請を断り、
「ただ男として引き受けねばならぬ仕事がある。」
「信念と正義を貫けば、そこは十字架への道だ。」と、誰も引き受けない厄介ごとばかりを受けて立つ「財界総理」こと石坂泰三氏。

『 電力会社を九つに割った男 』講談社文庫

「生きて鬼、死して仏とならん。」と、大暴れして戦後の電力事情を再編成して高度経済成長のお膳立てをした「電力の鬼」こと松永安左ヱ門氏。

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『 海賊とよばれた男 』講談社文庫

大英帝国や世界経済を牛耳る国際石油カルテル「セブン・シスターズ(七人の魔女)」を相手に戦い、世界を驚倒させた「士魂商才」出光佐三氏。

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 そして今回の正拳コラムは、吉村秀雄さんの『武』を紹介させて頂きます。POP吉村(吉村のオヤジ)と呼ばれた吉村さんは、「エンジンの神様」と称された機械職人です。恥ずかしながら私は若い頃、角川映画「汚れた英雄/主演:草刈正雄」に感化されてモータースポーツが好きになり、レーシングチーム「ヨシムラ」の名は知っていましましたが、まさかそこに『武』があることは存じ上げませんでした。

 吉村さんは、海軍少年航空学校(通称;予科練)に競争率73.5倍を突破して入学し、血へどを吐く激しく厳しい訓練を経験。その後、病気で退学を余儀なくなるも大空への夢を捨てきれず、必死に勉強して海軍の航空機関士となった経歴の持ち主です。

 終戦後、故郷の福岡に戻った吉村さんは、機械工場を開きます。英語が堪能なため米兵からバイクの修理依頼が殺到、いつしか工場や家は米兵達の溜まり場となり、ポップ吉村(吉村オヤジ)と呼ばれるようになります。吉村さんは、若き米兵たちを可愛がり、時に本当の親父のごとく叱りつけました。

 そして吉村さんは、米軍基地内のバイクレースに招かれるようになります。吉村さんが改造したバイクは断トツの速さを誇り、米兵達は改造バイクを宝物のようにして本国に持ち帰っていきました。

 その後、オートバイレースが日本でも開催されるようになり「吉村氏が改造したバイクは速い」と評判になります。当時のホンダ(本田技研工業)の経営陣たちは、吉村さんの職人技に惚れ込んで提携を申し入れました。

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 ところが数年後、創業者の本田宗一郎が「吉村改造バイク」が自社レース用マシンよりもパワーが出ていることを知り、技術陣を叱り飛ばしたのです。

「他人さまの方が自社バイクの性能を引き出すとは何事だ!」

 この一言にホンダ技術陣は吉村さんをライバル視し、一方的に部品供給を停止して提携も解消。更にレーサー達に「吉村のバイクに乗るな」と圧力までかけたのです。
 仕事を失った吉村さんは、米国でのビジネスを考えます。自分のバイク部品が、かつて面倒を見ていた米兵達を始め、米国のライダー達に人気があったためです。

 1972年、吉村さんは仕事で知り合ったディール氏と共同で、米国に会社を創業します。ところが彼は、吉村さんを騙して会社を乗っ取り「ヨシムラ」商標まで奪うのです。
 吉村さんは全てを失い帰国しますが、その後、「偽ヨシムラ」の粗悪品が出回ることに我慢できず、「戦争だ!」とアメリカに再上陸して、ひたすら高品質・高性能パーツを作り続け、偽ヨシムラの粗悪品を駆逐して敵を倒産まで追い込みました。

 その後、吉村さんはスズキ自動車の横内悦夫氏と出会います。社長から「バイクレースで勝つように」と厳命を受けていた横内氏は、内部スタッフの技術力ではとてもレースに勝てないと打ち明けました。

「吉村さん、やりますか」

「やりましょう」

 お互いの気持ちを確認した二人は、協力体制を取ることにします。この時、横内氏は「この人ならワークスに勝てる!」と、実感したそうです。

 ワークスとは、巨大な資本力と技術陣に支えられたホンダやカワサキなどの大企業メーカー直属のレーシングチームのことで、市井のレーシングチームがワークスに勝つことは不可能とされていました。

 横内氏との出会いで「国際レースで勝つ」目標を得た吉村さんですが、直後、工場の火事で全身大火傷を負ってしまいます。長男の不二雄氏は、放心状態の父に「さすがのオヤジも57歳、もう駄目かも」と、思ったそうです。

 この憔悴し切った吉村さんの元に、スズキが開発中のバイクGS1000試作機が極秘裏に2台届けられました。これが特効薬となって「火の玉オヤジ」は復活、重傷を負った両腕のリハビリを兼ねてGS1000の改造を始めるのでした。

 そんな時、ある情報がもたらされました。来年、鈴鹿サーキットで八時間耐久の国際レースが開催され、ヨーロッパ耐久レースを九戦全勝して無敵艦隊と称された最強のホンダワークスを始めとして、世界中から強豪レーシングチームが集結・参戦する、というのです。

「相手にとって不足ない。やってやろうじゃないか!」

 燃える吉村さんは、改造したGS1000と、クーリー、ボールドウィンという2人のライダーを率いて日本に逆上陸を果たします。

 1978年7月30日、記念すべき第一回「鈴鹿八時間耐久レース」は七万人の大観衆を集めて開催されました。事前の下馬評に町工場チーム「ヨシムラ」の名は、話題にすら上りません。大企業が威信をかけて開発したマシンに、町工場のオヤジが改造したバイクが勝てるハズがない、と、誰もが考えていたからです。

 ところが予選で第2位のタイムを叩き出したヨシムラに、人々はどよめき始めます。そして本戦。ヨシムラのバイクは、序盤戦から大本命のホンダワークスをブッチ切り、カワサキとの壮絶な競り合いを制して見事、優勝を遂げるのです。

 鈴鹿サーキットが「ヨシムラ」コール一色に染まる中、ライダー達ととともに、吉村さんは表彰台に立ちました。

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 このお話を知った時、私は吉村さんの『武』とは、巨大な敵や困難と対峙した時、「相手にとって不足ない。やってやろうじゃないか!」という不撓不屈の「なにくそ精神!」と思いました。

病気で予科練を退学するも航空機関士となって海軍に復帰し、
単身、アメリカに乗り込んで乗っ取られた会社を倒産に追い込み、
工場の火事と全身大火傷からの復活、
そして大企業ワークスチームに勝利する。

そこには、困難や挫折をものともせず、決して負けない、諦めない不撓不屈の「なにくそ精神!」と、勝利を掴むに有り余るほどの精進努力がありました。

 空手道のみならず、武道・スポーツから受験や仕事に至るまで、最初から巨大な敵に怖気づき、戦う前から心が負けていたら勝利はありません。いかなる相手であろうとも武道家は、ポップ吉村よろしく「なにくそ精神!」が先に立たなくてはいけないのです。

試合で格上の相手と対峙した時、
難関校を受験することになった時、
仕事で無理難題、ノルマを課せられた時、
人生、あらゆる困難に遭遇した時、

慢心や強がり、無謀、蛮勇とは違う、日々の鍛錬からくる「不撓不屈の精神」で挑み乗り越えてこその武道家です。吉村さんの『武』は、不撓不屈とは如何なるものかを私たちに教え示して下さいます。

 それでは最後に吉村秀雄さんの『 座右の銘 』をご紹介します 

 これは日露戦争終結後の1905年12月21日、バルチック艦隊を打ち破った連合艦隊の解散式において、秋山真之が起草して東郷平八郎が読み上げた訓示『聯合艦隊解散之辞』の最後の一節です。米国セオドア・ルーズベルト大統領は、この訓示に感銘を受け英訳文を将兵に配布しました。

吉村秀雄 『 座右の銘 』

神明はただ平素の鍛錬に力め
戦わずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授けると同時に
一勝に満足して治平に安んずる者よりただちにこれを奪う。
古人曰く 勝って兜の緒を締めよと。

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▼『連合艦隊解散の辞』原文
http://goo.gl/8wtnVf

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 極真会館より独立して一年、空手道 高見空手は、皆様のお陰で大過なくここまでやってこれましたこと心より感謝申し上げます。

 そして年末にあたり吉村秀雄さん(秋山真之)の『勝って兜の緒を締めよ』を肝に銘じ、油断なく怠り侮りなく、ただ平素の鍛錬に心注いで新年度を迎えたいと思います。
ありがとうございました。

高見 彰 九拝

<参 考>
富樫ヨーコ著『 ポップ吉村の伝説 』講談社+アルファ文庫

▼吉村秀雄"POP吉村"
http://goo.gl/81cq09

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 次回は新年度に再び江戸末期〜明治初期に戻って、山岡鉄舟コラムのスピンアウト第3段『お茶の木の肥やしになるのだ』を投稿予定です。

お楽しみに!

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