『日々鍛錬を宗とせよ』
ご存じのとおり高見空手道場訓の最後の一文です。
このレポートを記す機会を得た今回の昇段審査を終えたあと、この一文について考えることがあり、それを記したいと思います。
今回の昇段審査は壮年セミナーの一日目をお借りして実施していただきました。
壮年セミナーでは、一日目の夜に大人の飲み物付きの会が催されています。
その席で、他の受審者の方から受審準備の苦労について、伺う機会を得ました。段位が上がるにつれ、正解に導いてくれる方が少なくなり、また普段の稽古だけでは準備が間に合わないのは事実です。
皆さんの言葉を聴きながら、一般の道場生が見ることのない場所での準備作業は、まさに日々の鍛錬にあたるのではないかと思いました。
一方、今回のセミナーに参加されている高段者の方がなぜ肉体的にも、また時間的にも負担を強いられる空手を続けている理由についても思いを馳せてみました。
道場訓の前節は「武道の心は徳の端なり」とあることから、普段の稽古に挑むような姿勢で日々を過ごすことにより日常の生活の質が上がることが期待できることが実感できているのではと考えるに至りました。
つまり、空手の稽古で武道の心を養い、その精神で日々の生活をすることで相乗効果を生み、自己が向上していることを実感しているのではないかと考えました。
特に、今回のセミナーの出席者は空手の指導者の方もばかりで、空手の指導を通して道場生が肉体的にも日々の生活についても向上できるように腐心されている姿を見てきており、道場生やその周りの方が充実した生活をしていることに対する喜びも空手を継続する原動力になっているのではないかと感じました。
一方、私の今回の昇段審査受審について振り返るときに、日々の空手を通してお世話になった多くの方に役に立っていればこれに勝る喜びはありません。後輩の道場生については私が型を指導している立場なので、最初は覚えるのが難しいと思われた五十四歩や雷神について、型を形にする努力のモチベーションになり感謝しています。
石田指導員及び大内指導員については、昇段審査という同じ目標に向けて進む中、切磋琢磨の機会をいただき感謝しております。
本馬師範代におかれましては、今回の受審のきっかけを作っていただき、また自ら一歩一歩前進する姿で背中を押していただき感謝しております。
平松伸彦師範及び廣子師範については日頃から親切丁寧な指導を賜り、また常に笑顔で道場を盛り立てながら日々の稽古の場を提供いただき感謝しております。
諸先輩方については賑やかな(けたたましい)後輩ではありますが受け入れていただき、また常に前向きに鼓舞していただき感謝しています。高見総師、高見最高範士及び高見事務長におかれましては、我々の日々の鍛錬の方向性を明確に示していただき非常に感謝しています。
多くの方に支えていただき昇段することができましたが、支えていただいた皆さんがこの昇段について少しでも喜んでいただき、僅かでも良い影響がありましたら非常にうれしく感じます。
私も50歳を超え、老眼とはいかないものの視界が狭くなったり、物がはっきりと見えなくなってきました。
このような老兵を踏み台にして、後に続く方が私の見えなかった素晴らしい風景を見ていただけたら本望です。
そして、高見空手にかかわるすべての方が、稽古を含む日々の鍛錬で生じる苦痛・苦悩より1%でも多い喜びを持てることが究極の目標として今後も高見空手の修行を続けていきたいと心に刻むことができました。
それが、今回の昇段審査の最大の収穫であったのではないかと自分は思っています。