まず初めに、お陰さまで『第一回 愛媛県空手道選手権大会』が無事終了いたしました。これも皆様のご支援とご指導、ご尽力の賜物でございます。皆様には、この場をお借りして感謝申し上げます。
誠に有難うございました。
また、出場選手のみなさまも本当にお疲れさまでした。白熱した試合のみならず、試合後の「残心(残身)」「礼に始まり礼に終わる」姿など、日頃の稽古によって培われた『武』を如何なく発揮できたのではないでしょうか。
日本武道館の武道憲章に 「勝っておごらず負けて悔まず」 があります。これは近年、使われ始めた言葉ですが素晴らしいと思います。出場選手には、この意味するところを心中深く噛みしめて、益々、武道修行に邁進して頂けたらと思います。
ところで「勝っておごらず負けて悔まず」は、「…負けて腐らず」「…負けて僻まず」「…負けて怯まず」など様々な言い回しがあり、野球の長島茂雄元監督や水泳の久世由美子コーチが出典との説があります。ただ、武道憲章が昭和62年制定なので時期的に出典が何処なのか判断は微妙です。
ただ、個人的に「腐らず」は、ミスターによる「悔まず」のアレンジなのかな?と、勝手に推測したりして…(長島監督、ゴメンナサイ)
そして今回の正拳コラムは、前作の徳川家康公の遺訓に生きた慶喜コラムに続き「負けて知る武士道」をテーマに、タイトル通りアンパンマンの生みの親「やなせたかし先生」…ではなく、
アンパンの生みの親「木村安兵衛」をご紹介します。
「勝っておごらず負けて‘腐らず’」通り、負けても‘腐らなかった’アンパンマンの『武』?とは如何なるものでしょうか。
━━━ 徳川家康公 遺訓 ━━━
人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。
勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば害その身に至る。
己を責めて人を責めるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり。
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1817年、下級武士の次男として生まれた長岡安兵衛は、22歳で農家を営む木村家の婿養子となりました。木村家の農地は小貝川の脇にあり、氾濫が絶えません。
「いくら必死に働いても、洪水で全て一瞬に流されてしまう…」
安兵衛は農業を見切り、本家の木村垂義の伝手で桑名藩の御蔵番の職を得ます。ところが明治維新となり、安兵衛も他の武士と同じように失業してしまいます。しかし、またもや木村垂義が失業武士救済の職業訓練施設「東京府授産所」の所長に任命されたお陰で、運よく事務員として働くことが出来ました。
ここで安兵衛は、梅吉というパン職人と出会い
「これからは日本人もパンを食べるようになる」と考えます。
梅吉にパン作りを教えてもらった安兵衛は、明治二年、五十二歳で日本初のパン屋「文英堂」を創業しました。ところが人々は、珍しそうにパンを見るばかりで誰も買いません。更にお店も火事で全焼してしまいました。
一文無しとなりましたが、何とか気を取り戻し、
「フランスパンのように硬くなく、柔らかいパンなら売れるのでは」と、店名を「木村屋」に変えて試行錯誤します。しかし、なかなか柔らかいパンは作れません。
硬いパンは相変わらず売れず、借金はかさむ一方…。
こんなことなら百姓を続けているべきだった、と、後悔しつつも必死で研究し続け、生地の発酵でイースト菌の代わりに日本酒を醸造させる酵母菌を使う方法を思い付いて、冷めても柔らかいパンを焼くことに成功しました。
ところが世間ではパンの知名度は上がるも「珍奇な食でバカが喰らうもの」と言われ、まったく売れません。更に悪いことに、またもや火事でお店を失ってしまいます。
安兵衛は、泣き崩れました。
その後、再び気を取り戻した安兵衛は、人々がパンを嫌うのに饅頭は好んで食べていることに気が付き、それならと試にパンに餡を入れて「あんぱん」と名付けて売り歩いたところ、これが評判となっていきます。
数ヶ月後、妻の妹婿で浅利道場の師範代であった木村貞助は、安兵衛を山岡鉄舟に引き合わせました。
あんぱんを食べた山岡鉄舟は、開口一番
「これ、うまいじゃないか!!!」
と、大絶賛。
あんぱんの美味しさに感動した山岡鉄舟は、明治天皇への献上を提案しました。そして2人は、試行錯誤の末、八重桜の塩漬けをパンのへそに埋め込んだ「桜あんぱん」を開発するのです。
明治8年4月4日、明治天皇と皇后が隅田川縁の水戸徳川家の屋敷に花見を兼ねて行幸した席に木村安兵衛の「桜あんぱん」と中條金之助の「静岡茶」が献上され、両陛下は賞賛、「桜あんぱん」は宮内庁御用達となって引き続き納めることになります。
これを機に「あんぱん」はブームとなり、山岡鉄舟はパンの宣伝で安兵衛が結成した市中音楽隊に「ちんどん屋」と命名。また失業武士の救済ビジネスとして、パン屋の創業を勧めて支援しました。
普段、さりげなく私達が食べている「あんぱん」には、このような木村安兵衛の挫折を乗り越えてきた『武』の物語があったのです。
『これからは日本人もパンを食べる様になる!』と云う信念を貫く姿勢、洋のパンに和の餡子を入れ作り上げた柔軟な発想と失敗から学ぶ姿勢など、学ぶべき点は様々ありますが、
私が、一番感銘を受けたのは、パンが全く売れず、2度に及ぶお店の火事で一文無しになるなど、絶望し放心状態になったところから再び立ち上がる精神力です。
私は、悲しむだけ悲しんだ後に柔らかいパン作りの発想やあんぱんを思いついたりした所に、室町時代の禅僧『一休宗純』が思い浮かんでまいりました。一休さんも師匠謙翁宗為が亡くなった際、師匠の死、自身の不遇、戦の絶えない世に行き詰まり自殺まで計り、運良く助かった後、悟りの境地に行かれており、何故か安兵衛と重なって見えました。甘ったれた気持ちではなく、苦しい時はしっかり苦しみ、迷った時はしっかり迷う事も大事で、安兵衛はその先に光を見つけた様に思えます。
木村安兵衛の『武』とは、絶望の淵から立ち上がる精神力、家康公の「勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば害その身に至る」が教え示す、負けを知っている者だけが掴むことのできる「勝利」ではないでしょうか!
是非、あんぱんを食べた時には、木村安兵衛の「負けて知る武士道」という『武』の逞しさを思い浮かべて頂けたらと思います。
~ 負けても腐らないアンパンマン武士道 ~
高見 彰 押忍!
<参考サイト>
・茨城県
http://www.pref.ibaraki.jp/hakase/info/04/
・木村屋総本店
https://www.kimuraya-sohonten.co.jp/
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次回の正拳コラムは、趣を変えてアレキサンダー・ベネット著「日本人の知らない武士道」を日本人の私(高見彰)がレビューしてみます。
本書は、単なる外国人による武道体験記&武士道解説ではございません。ベネットさんが、真摯に武士道に向かい探求した素晴らしい本で、私たち日本人の武道家は襟を正して読む必要があるほどの良書です。興味のある方は、ぜひ次回の正拳コラム投稿までに読んでいただけたらと思います。