※旧タイトル:「あんぱん」と「味付け海苔」vol.1
前々回コラムで北条時宗に「莫妄想」を伝授した無学祖元(むがくそげん)が、兵士に刀で殺されそうになった時に詠んだ歌があります。
「臨刃偈 ( りんじんげ )」
乾坤(けんこん)孤筇(こきょう)を卓(た)つるも地なし
喜び得たり、人空(ひとくう)にして、法もまた空なることを
珍重す、大元三尺の剣 電光、影裏に春風を斬らん
※意味
稲妻が春風を斬れないように、お前は私の体を斬っても魂まで斬ることは出来ないよ。
死を恐れず平然と歌を詠む無学祖元に、兵士は退散します。
今回の正拳コラムは、この歌に倣い「春風館道場」を開いた幕末~明治の「剣」「禅」「書」の達人、山岡鉄舟の「武」をご紹介します。
実は、この正拳コラムで先人たちの「武」をご紹介していることを知った先輩より、武道を志す方々にとって山岡鉄舟の「武」が大変勉強になるから取り上げてはどうかとアドバイスを頂きました。
それで調べたのですが、当コラムでも紹介した江戸時代の初めに柳生但馬守と沢庵禅師が提唱した「剣禅一如」の集大成として、江戸時代最後に出てきたラストサムライというべきか、いや、それ以上の本当に規格外の大人物、巨匠でした。
鉄舟は、明治維新の志士たちの名声の陰に隠れて地味ですが、調べる程に今も多くの鉄舟ファンがいることに頷けました。そして恥ずかしながら私自身、如何にテレビ化、映画化された人気のある有名人物ばかりに興味が向いてたことを気付かされました。
先輩の云われる通り山岡鉄舟を知ることで、日々の稽古への向かい方から武道に対する考え方、取り組み方、しいては現代社会における武道の在り方など、大変、勉強になりました。
今回は、ちょっと時間を掛けた3部構成の長編にして、1~2部で山岡鉄舟のエピソードを紹介し、3部目に私が山岡鉄舟の「武」から学んだことを述べさせて頂きます。
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山岡鉄舟といえば、ご存知の通り江戸城無血開城のエピソードが有名です。
徳川慶喜の命を受け、江戸に向かってくる官軍の真っただ中を
「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る!」と、
真正面から突っ切り、西郷隆盛に直談判して戦を回避します。
そして江戸城無血開城により江戸を戦禍から救うも、その功を勝海舟に譲り、
西郷どんをして
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。
此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」
と言わしめた、リアル‘矛を止めた’「武」の巨人です。
前置きが長くなりましたが、山岡鉄舟は、どうやって「武」を極めたのでしょうか?
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剣豪、塚原卜伝を先祖に持つ鉄舟は、9歳から剣術を志して新陰流を学び、千葉周作から北辰一刀流を、山岡静山から忍心流槍術も学びます。
この鉄舟を象徴する若き日の‘あだ名’が二つあります/
それは「ボロ鉄」と「鬼鉄」。
「ボロ鉄」とは、貧乏でいつもボロボロの服を着ていたために付いたあだ名です。
月に7日は食事にありつけず、家の中は擦り切れた畳二枚の寝床兼居間と、畳一枚の書斎の合計三畳。妻には布団代わりに自分の服を与えて、本人は褌一丁で夜を過ごし
「まぁ、寒稽古に比べたらたいしたことない」
「人間、食べなくてもなかなか死なぬものだな」と、言い出す始末。
後に徳川慶喜の命を受けて西郷隆盛に会いに行くことが決まった時も、生活のために刀を売り払った後で、大慌てで親友の関口艮輔に大小を借りたほどの貧乏です。
「刀は武士の魂!」と、うそぶくサムライが鉄舟を見たら、唖然とするかも知れません。
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もうひとつの「鬼鉄」とは、激しい稽古で恐れられた‘あだ名’です。
内憂外患に対処するため幕府が設置した武芸訓練機関「講武所」に強者たちが集結する中、
狂気とまで揶揄された鬼気迫る稽古をする鉄舟は、まわりから「鬼鉄」と恐れられました。
ところが自他ともに最強と言わしめた鉄舟が28歳の時、転機が訪れます。
夜遊び後、ほろ酔い気分で道を歩いていた鉄舟は、突然、肩のぶつかった相手に襲われ、不覚にも首に刀を突きつけられるのです。
「おい、お前、鬼鉄だな! こんな老いぼれ武士に不覚をとるなんて、
噂と違って大したことないな。今回だけは勘弁してやるわい、笑!」
後に、この武士が、中西派一刀流の剣豪・浅利又七郎だとわかり、
改めて試合を申し込むのですが、何度やっても勝てません。
毎回、浅利の剣気に押されてジリジリと後ずさりして羽目板まで追い詰められ、さらに道場の外まで押し出されて、扉をパシッと閉められて終わりです。
寝ても覚めても目の前に立ちはだかる浅利又七郎という壁。
苦しむ鉄舟は高橋泥舟から、これは剣術の技量ではなく「心」に差があるのでは?とのアドバイスを受け、以前から取り組んでいた「禅」にますます傾倒していき、禅修行で深夜二時前に寝ることは無かったといいます。
その後、鉄舟は、西郷隆盛との交渉で官軍と幕府の戦を回避して江戸城無血開城を成功させたり、
上野彰義隊の説得や徳川家の静岡への国替え、失業武士対策に苦心するのですが、その間も弛むことなく剣術修行を継続するのです。