「もう一度、来年再審査させてください。」((私・中里)
「合否を決めるのは君ではない。」(総師)
これは今から20数年前、弍段を受審した後日、当時の極真会館四国本部(宇和島道場)総師のご自宅に伺ったときの会話である。
このとき総師からは「今の気持ちを忘れずに精進することが大事だよ。大変なのはみんな同じ紆余曲折を経て今の自分にできるなかで最善を尽くせばいい。理想を保っていられる魔法なんてないのだから1つ1つのことをこなすのではなく取り組む姿勢が大切であり技能、技量面を体得するための努力とは一にも二にも基礎基本を築き積みあげてゆくところの日々鍛錬の
努力以外にはないのだよ」と境地に裏打ちされた深みのあるお言葉をいただきました。
あれからの年月を経て当時の自分に私は何て声をかけてあげるだろうか?
『子、四を以て教う。文、行、忠、信』(英文) Confucius taught us four teaching.reading, practice, loyalty and faithulness.
これは孔子の論語で、学び実践し誠実に尽くし信義を守るという教えですが現在の道場訓とも重なるところが多く、総師、最高範士との稽古のなかで倫理を有する人になるべく必要とされるものを学ばさせて頂き、また指導の際には相互尊敬(相手の尊厳を大切にし礼節を持って接する態度)を大事にするようアドバイスして頂きました。
努力と成果は一致しないことをこれまで皆さんも一度や二度は経験されていると思います。
失敗したときの受け止め方や対処の仕方なども最高範士からはご指摘して頂きました。
人間、誰でも失敗すれば悔しいし情けないし恥ずかしいという負の気持ちが当然芽生える。
しかし、その事に真摯に向き合えば反省点や改善点が見つかり、その『気づき』が大切であり次の成功への糧になる。
準備をするためには知識、経験、知恵が必要で勉強しないと得られない。
勉強するということは『考える力』を身につけること、物事には理由、原因があるなかで『思考力』をいかに身につけるかが重要である」と説いて下さいました。
それからは若いときに無視していた摂生を徹底し正しい知識に基づいた自らの言動の裏にある真意を説明し理解してもらうよう心がけてまいりました。
前身である極真会館から高見空手に変わり昇段のお話もこれまで何度かいただいておりましたが、私のなかでは数年前から海外で受審できないものか考えておりました。
スリランカのカル師範やジェシリ師範代は言葉や文化、食事から宗教の違いがあっても高見空手を学びたい一身と強い覚悟を持って海を渡られたと思います。
修行の身である私がこれまで培ってきた空手を異国の地で挑み、体現体感することがこれからの糧になるのではないかと思っておりましたがその後、新型コロナウィルスが世界中に猛威を振るう現状となります。
最高範士にその意向をお伝えしたとき「きっと故長谷川師範代も同じことを言っただろうな」と仰られました。
私にとって四段とは当時すでに病に冒されていたかも知れない体で東京の総本部で四段を受審して途中、負傷しながらも完遂された意義のある段位でもあるのです。
3月に出稽古に伺った後、命日(3月23日)もあり最高範士とお墓参りをさせて頂き自身の経過を報告させてもらいました。
我々が歩む武の道は「ゴールのないマラソン」だと思っています。
人それぞれに門をくぐりその時その状況に応じてゴールを決めていかなくてはいけません。それが進学であったり仕事であったり家庭の事情もあれば病であったり…
高見空手には今なお走り続ける多くの諸先輩方がおられます。
頑張り続けるという事は言葉でいうほど簡単な世界ではありません。その努力が適当な努力なのか、そこそこの努力なのか、本気の努力なのか?その過程において見えてくる景色が変わってきます。どの分野においても目標をあげることはできても目標を達成するためには大変な労力を使いますよね。だからこそ忙しいを言い訳にはせず時間というのは「ない」ものではなく「作る」ものだと思います。
何とかなる…それはやるべきことをやっている人が言えるセリフであり、武の世界では不可能の反対語は可能ではなく『挑戦』です。
どの道を選ぶかより選んだ道をどう生きるか?
志を立てるのに遅すぎることはなく年齢を重ねればできない事は受け入れながらも、やりたいことを諦めたくはないですよね。
人生の転機となった空手道…
総師、最高範士、事務長、諸先輩方と出会うことができ空手を通じて縁があった弟子達。
その存在は私にとって家族と共に大きな力の原動力となり人生の励みになってきました。
これまで弟子達とはたくさんの笑顔、涙、成長を見てきました。苦しかった時の涙、悔しかった時の涙、そして本当に嬉しかった時の涙…強くなることの1つは泣かない事ではなく涙を流してもまた笑えることです。
真剣に取り組んでいるからこそ、心から「あぁよかったね」と思える瞬間があります。
信じてきた道を邁進し今の精一杯を継続することをできた者だけが見ることができる世界です。
高見空手に通われてる道場生の皆さんには道場で見て学び経験した事をこれからの人生に活かして頂ければ幸いです。
ブルース.リーさんが残した“Don’t want a simple life,I hope for the strength to endure hard life.”
(簡単な人生を願うな.困難な人生を耐え抜く強さを願え)という言葉がありますが人は苦難や逆境にぶつかったとき真価が問われます。
『人生は我慢です』
内弟子を卒業して道場(住吉、宇和、大洲)を持たせていただき数年後、宇和島道場にお手伝いに入ったとき、自分が育った道場で総師の基本稽古を黒帯を締めた娘たち(彩果、美悠)と共にできる日がくるとは思ってもいませんでした。
また、稽古の後には必ず労いの言葉をかけてくれる総師の温かさや事務長の気遣いが私にはありがたかった。
皆さんはいますか?素直にありがとうと言える人や心からありがとうございましたと思える人が…「あの時の言葉に勇気づけられ、あの時の優しさに元気をもらい挫けそうだった自分が諦めず前に進むことができました」と感じることができたとき人は『感謝』という言葉を実感し周りの人達に対して優しく思いやりのある人間になっていけるのではないでしょうか?
この度の昇段審査に至りコロナ禍で制限も厳しいなか実施して頂いた総師、最高範士、また審査にご協力して頂いた金澤師範(南郡道場)、畠山師範代(宇和島道場)にこの場をお借りしてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
今後、私が見据える先は30年先にあります。
総師が現役で稽古を続けておられる現在、その年齢まで目標をおくことは正直、自信はありませんが体力、氣力の続く限り歩みを止めず忠恕(ちゅうじょ)の精神を大切に自己研鑽を積んでまいりたいと思います。
『四門(四段)をくぐり、その道のりは遥か先にある…』押忍