「黙想」という先生の言葉の後、ぼくはそのままねてしまっていた3才のころ。
ぼくが初めて大西道場にいったのは幼ち園年少のときでした。
母につれられて空手が何かよくわからないまま姉と一緒にはじめました。
最初は知らない人ばかりでなかなかなじめませんでした。
そんな中、丸山先生はミットを使った遊びをしてくれ、少しずつみんなの輪に入っていけました。
型や移動げいこでは一人だけちがう動きになってしまうことも多々ありました。
でも周りのみんなの動きをまねして少しずつできるようになりました。
そして初めて審査が受けられるようになったのは幼ち園年中の時でした。
その時、練習をしたことは大きな声で「押忍」といったことと太極その1です。
何度も練習しました。
審査当日はきんちょうしましたがとにかく「押忍」といってがんばりました。
そして、念願のオレンジ帯になることができ、初めてオレンジ帯をしめた時は本当にうれしかったです。
それをきっかけに空手が楽しくなり、いつか「黒帯をとる」という目標ができました。
試合も何度も経験し、くやしい思いもたくさんしました。
次こそは勝ちたいと思いながらけいこをし、組手や型でもトロフィーをもらうことができました。
トロフィーはぼくの宝物です。
審査はいつもきんちょうしました。
でも新しい帯になるのがうれしくて日々けいこにはげみました。
そして小学5年生で1級になることができました。
今年は新型コロナウイルスのえいきょうで試合や合宿がなくなり、普段のけいこでは組手の練習が思うようにできずくやしかったです。
でもこのコロナ禍で昇段審査を受けることができると聞いた時はとてもうれしかったです。
「絶対に受かって黒帯になってやる」と思いながらけいこをしました。
英語の道場訓、うで立てふせ、じゅうなん、型、組手を道場でも家でも何度も何度も練習しました。
審査ではきんちょうして何度かまちがってしまった所があるけれど最後まであきらめず一生けん命がんばりました。
結果が出るまで毎日ドキドキしていました。
合格通知を見たときは信じられない気持ちでいっぱいでした。
何度も見てうれしさを実感しました。
黒帯になれたのは高見総師、高見最高範士、丸山先生、家族のみんな、道場のみんなのおかげです。
本当にありがとうございました。
お母さん、いつもそばで応えんしてくれてありがとう。
お母さんがいなかったらここまでくることができませんでした。
これからもたくさんめいわくをかけると思いますがよろしくお願いします。
これからは今まで以上にけいこにはげみ、もっと上を目指したいと思います。押忍。