前回の正拳コラムに続き、再び知人から聞いた柳生但馬守のエピソードをお話します。
ある日、宗矩が街を歩いていて、ある武士を見かけたそうです。
一見、ごく普通の武士なのですが、人を見極めることに長け自認していた宗矩は、何故かその武士が気になり、思い切って声を掛けたそうです。
「失礼ですが、私の見るところ、あなたは一流一派を構える名の或る剣術の達人ではありませんか?」
「えっ?違います。私は剣術が大の苦手です」
「では、何か剣術以外の武術を極めたとか?」
「いやいや、拙者、見ての通り体も小さくて力も弱く…」
「では、禅で大きな悟りを得たとか」
「いやいや、とんでもございません。そんな大層なことしてません」
「もしや大きな志を以て刻苦勉励しているとか…」
「いえいえ、私は何処にでもいるような、ごく普通の公務員です」(当時の武士は公務員にあたります)
「そんなハズはない。私の目に狂いはない!あなたは只者ではない」
「そんなこと言われても、困ります…」
…こんな会話が暫く続き…
業を煮やした宗矩が
「では最後にお聞きします…。あなたは何か心掛けていることはありませんが」
すると武士は、
「特にございませんが、こんな私の様な者でも一応は武士の端くれです。
いざ何かあったら主君の為に何時でも命を差し出す覚悟をするため、日々、刀の下にわが身を置いて寝ています」
これを聞いた宗矩は大声で叫びました/
「それだ!いつでも死ねるという日々の覚悟!これが肝を練り上げ、あなたを達人たらしめているのだ。私の目に狂いはなかった!」
このお話の真偽は不明で、微妙に有名な「いざ、鎌倉!」も入っている創作の気もしますが…。
刀の下で必死の覚悟。「押忍」の「忍」は「刃」の下に「心」と書きます。
このエピソードは、どことなく「押忍」の精神の一端を表している気がしませんか?
ここで、あまり関係ないですが一句
「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 一歩踏み込め あとは極楽」
柳生宗厳(宗矩のお父さんです)
高見 彰