前コラムで「武道の神髄とは何か?」の質問には、
「言葉では説明できない‘不立文字’」
「精進努力して修養した分しか人には伝えられない‘教外別伝’」、
「‘不立文字’だからこそ、逆に様々なお話で述べることが出来る」と、私は訳のわからない答えをしました。
でも、当コラムで幾度となく高見空手の武道談義を読んでいくうちに、皆様に、おぼろげに武道とは何かを掴んで頂けるのでは、私の答えを理解していただけるのではと、期待しております。
それでは一つ目のお話です。
江戸時代初期を代表するサムライ、将軍家兵法指南役として将軍・徳川家光に仕えた柳生但馬守宗矩。その逸話には、真偽が不明なものが多いのですが、以前、私が先輩から教えてもらったお話です。
将軍の家光は、家来を集め、朝鮮から送られてきた虎を見せて言いました。
「かつて加藤清正が虎退治をしたと聞くが、誰かこの虎と戦ってみぬか?」
誰もが躊躇する中、宗矩がスクッと立ち上がって、刀を持たず扇子一本で檻の中に入ります。
そして宗矩と虎が対峙し、まさに虎が襲いかかろうとした瞬間、宗矩は一気に踏み込んで虎の鼻頭を扇子でポンッと叩きました。すると虎は、腰砕け状態になりヘナヘナと座り込んでしまったそうです。
これを見た将軍や他の武将たちは、あまりの宗矩の凄さに言葉を失ってしまいました。
すると後ろの方から「わはは…、まだまだ未熟じゃのう」と、大笑いながら沢庵禅師が出て来たそうです。そして、なんと沢庵は、ひょいひょいと自ら虎の檻に入ってしまうのです。
沢庵は、猛り狂う虎の前にひょこっと立ち、手のひらをぺろっと舐めて虎の前に指し出しました。すると虎は、沢庵の手の平を舐め、子猫のように沢庵に甘えだして、ひっくり返ってお腹まで出したそうです。
檻から出た沢庵は宗矩に、こう言いました。
「力で敵を制しているようでは、まだまだ修行が足りないな。この未熟者めが、笑!」
この先輩の話を僕も調べたのですが不明で、柳生但馬守の逸話は余りに多くて、その殆んどが真偽が不明だそうです。
ただ、実際の柳生但馬守宗矩は、
「本来忌むべき存在である武力も、一人の悪人を殺すために用いることで、万人を救い『活かす』ための手段となる」と、活人剣を提唱し、
沢庵の教えを受けて「剣禅一如」の道を示して、戦場で敵を倒すための剣術を人間としての高みを目指す武道に昇華させた大人物です。真偽はともかく虎の物語は、沢庵と宗矩の人物像を的確に物語っているのではないでしょうか。
しかし、「剣禅一如」の道、凄いですね!
高見空手も「拳禅一如」を目指さないと、と、改めて考えた次第です。
「拳禅一如」高見 彰 拝