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そもそも武道とは何か?

「正拳コラム」の開始早々、最大の難しい問題を挙げてみたいと思います。

空手の道を歩んでいる私は、皆さまからの
「武道とは何か?」「武道の精神性とは何なのか?」という疑問に答えなければいけません。

そこで勉強のため、他の武道家の先生方がどのように説明されているのか調べたところ、勇ましく猛々しい言葉や哲学的な言葉が多くを占めていました。

そもそも武道とは何か?

辞書で調べると
「武士として身につけるべき技。武芸。武術。」
「武士として守るべき道。武士道。」
「補説:武技・武術などから発生した日本固有の文化。」
と、解説しています。

ここで私が、注目するのが「道」「日本固有の文化」という言葉です。

 日本人は、茶道に花道、書道、弓道と、伝統芸や技術に「道」を付けて取り組み、その精進努力のプロセスを通じて自分の心や魂を磨こうとします。武道も同様で、柔道も剣道も空手道、合気道も「道」を付けて修行に励んでおります。

この様な文化性は、私の知る限り世界中どこを探してもありません。まさに「日本固有の文化」です。

(ちょっと難しい話になりましたが、引き続き我慢して読んで下さい)

 また私は、武道の歴史的な変化として、この3つに着目しています。

まずは、足利幕府が始まる前の大楠公「楠木正成」の生き様です。

 当時の武士が名誉や武功・功名心に生きた時代、楠木正成だけは無私無欲で「大義」に生き貫き、負けて死ぬとわかっていた湊川の戦いに赴きます。敵将の足利尊氏は、大楠公の人間性に感服して尊敬していたため、何とか生け捕りを試みますが失敗に終わります。

 後に大楠公の生き様に歴史学者であった水戸黄門の徳川光圀公が大感動。幕末の志士たちの生き様にも、大きく影響したのは言うまでもありません。

 大楠公は、武道に初めて「大義」という人生観を加えたのです。

 次が、武士道と禅などの様々な東洋哲学との融合です。

 元寇の時の将軍、北条時宗は、体が小さくて軟弱でしたが、幼い頃より禅で練り上げた肝っ玉の持ち主。迷いなく徹底抗戦を決断した北条時宗の気合いと根性に、日本中の武士たちが奮い立って戦い、神風を呼び起こしました。

 また、江戸初期の柳生但馬守はじめ、多くの武士も禅に学び、神道をベースに儒教とともに二律背反の老荘思想までも取りいれて、武道の中で矛盾なく消化吸収されていきます。

 特に陽明学は、武士の行動哲学となり、吉田松陰の著書『講孟箚記(こうもうさつき)』は歴史に残る名著です。

 そして最後に戦国の世が終わった江戸時代。太平の武士たちは、幼少から四書五経を勉強させられて高い道徳心と自制心を教え込まれ、
「刀は磨いてさやの中」の人生観を確立します。
 そもそも刃を持ち歩いた武士に道徳心と自制心がなかったら、市民は恐ろしくて街を歩けません。

 また、大山倍達総裁も著書の中で現代の平和な日本を太平の江戸時代になぞらえて
「侍は刀を常に磨いてさやの中におさめておく。抜かない。抜かないところに侍の価値がある。」と、述べられています。

いろいろダラダラと書いてしまいましたが、結論は、

「武道は、武術に日本人固有の「道心」が加わり、神道、仏教(禅)・儒教・老荘思想などの東洋哲学を吸収して、長い年月を掛けて醸造されてきたもの」で、

武道の精神性とか神髄というものは言葉では説明できない、
禅でいうところの「不立文字」であり、修養した分しか伝えられない「教外別伝」というのが私の見解です。

 でも、言葉で説明できないということは、逆説的に何通りもの言葉を通じて述べることができるということです。

ここに「正拳コラム」の意義があります。

 武道の修行をしている様々な先生、先輩諸兄の皆様が、様々な立ち位置や切り口からの武道談義、昔の武道家の様々なエピソードをコラムで語ることで、おぼろげながら「武道とは何か?」ということが少しづつ皆様に伝わり、私自身も勉強となって武道への造詣が深まるのではと期待しています。

 では、まずは次の予告で、昔、先輩から聞いた
「柳生但馬守と沢庵和尚のエピソード」をお話ししたいと思います。
お楽しみに!

高見彰 拝

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