だいぶ時間が空いてしまいましたが、今回の正拳コラムのテーマは『武士道の源流を探求する』です。
と、申しましても殆どが耳学問で、お世話になっている先輩や知人から興味深いことを教えて頂きましたので、皆さまにもご紹介したいと思いました。
また、全3部+おまけ1部の合計4部構成と大作になりますが、中身は私たちの単なる私見で難しくないので、肩の力を抜いて気軽に読んで頂けたら思います。
幕末の剣・禅・書の達人、山岡鉄舟は「武士道」を次のように述べられました。
『我が邦人に一種微妙の道念あり、神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念にして、中古以降専ら武門に於いてその著しきを見る。鉄太郎これを名付て武士道と云ふ。』
鉄舟は、「武士道」は武家において「神」「儒」「仏」の思想哲学が融合して独自に発展してきた『道』と述べました。それならば私は、逆に神・儒・仏の3つの側面からアプローチしたら武士道の源流垣間見ることができるのかな?と考え、先輩諸兄に様々おしえて頂いたり一緒に調べたりしました。
そして最も『武士道』に影響を与えたと思われる偉人に辿り着きました。
それは
1、聖徳大子(神道)
2、達磨大師(禅宗)
3、孟子(儒教)
の三人です。
この「神」「儒」「仏」を代表する三人の思想哲学を中心に、武門の家で何百年に渡って徐々に融合発達したのが「武士道」と考えました。
聖徳太子というと「十七条憲法」や「仏教を日本に導入した人」という印象が強いと思います。しかし、聖徳太子の凄いところは、何百年/何千年先の未来を見据えて神道を土壌に「日本の国体」「日本文化」の基礎・骨子を作ったことなのだそうです。
それは、
・豪族が群雄割拠していた日本を天皇中心の中央集権国家にしたこと(天皇制)
・異文化を吸収してオリジナルなものに発展させる日本文化モデルを構築したこと。
の2つです。
一つ目の日本の国体「天皇制」は聖徳太子が基礎固めしました。天皇とは日本民族の長(おさ)で、民族の繁栄を祈って祭礼するお立場(祭祀王)。
そして政治(権力)は、平安時代では摂政関白、鎌倉時代~江戸時代は幕府、明治維新から現代までは憲法による政府が担ってきました。こうした「権威(天皇)」と「権力(為政者)」が分離している日本独自の国体は、聖徳太子が基礎固めしたというから驚きです。
二つ目の「異文化を吸収してオリジナルなものに発展させる日本文化モデル」の代表例が仏教導入です。
例えば「お盆」は仏教行事と誰もが思いますが、実は仏教に先祖崇拝や先祖供養はありません。これは「人は祖に基づき、祖は神に基づく」(ご先祖のご先祖が神さま)という神道の先祖崇拝を、聖徳太子が仏教と融合させて「お盆」という習慣にしたそうです。仏教という異教を受け入れて神仏習合にしてしまう日本神道の寛容性と懐の深さには驚くばかりです。
そして現代に至るまで日本は、聖徳太子の文化モデルによって、いろんな海外の異文化を吸収し続け、オリジナリティーな文化にして発展させて来ました。
今の日本語も「漢字」を吸収していますし、明治維新では和魂洋才で西洋文明の科学技術を吸収し、日本オリジナルに発展させてきました。
また例えば食べ物なら
・イタリアのスパゲティナポリタン、
・インドのカレー、
・中国のラーメン、
・ポルトガルのてんぷら!
…etc
どれも日本オリジナル版が生まれました。
思想哲学、宗教、科学技術、料理(笑)と、異国から伝わってきた文化を吸収発展してオリジナルなものにしてしまうのが日本文化の大きな特徴のひとつ!
その基本パターンというかモデルを作ったのが聖徳太子なのです。
当然、武士道も聖徳太子モデルによって「神」「儒」「仏」の異なる思想が融合発展して生まれたものです。もし聖徳太子がいなかったら日本文化は深みなく味気ないものになり、武士道も生まれなかったかも知れません。
先輩から教えて頂いた話に、改めて聖徳太子の凄さに驚いた次第です!
次は「仏」の側面から武士道を語ってみたいと思います。
おたのしみに!