新春、正拳コラム第一弾です、押忍!
先日、あるビジネスセミナーに参加された知人から以下のお話を聞きました。セミナーで改革派の某政治家が講演され、次のコメントをされたそうです。
『日本の社会は、最初から完全を求めすぎる。合格ギリギリ60点を取っても足りない40点を指摘して潰したらイノベーションは起こらない。アップルの創業者スティーブ・ジョブズも、最初は完成度の低いMacintoshやiPod、iPhoneを製作し、後からバージョンアップで改善を繰り返して完成度を高めてイノベーションを起こした。未完成なもの、未熟なもの、発展途上なものは寛容を持って成長を見守らないとイノベーションは起こらない。足りない部分を叩いて芽を摘んではいけない!』
この話を聞いた時、私は極真会館から独立した高見空手の試行錯誤の2年間が思い浮かびました。ここまで高見空手が来れたのは、独立したばかりで組織体制も不十分、道場訓すら決まっていない高見空手を皆さまが寛容の心で見守り、応援し支えてくださったお蔭です。ここに改めて御礼申し上げます。
ありがとうございました、押忍!
また思えば、この高見空手ウェブサイト一つとっても既にデザインは三代目。一歩また一歩とWEB課が作り込み、コンテンツを充実させてここまで進化させることができました。
▼ 初代・高見空手サイト(2014年7月13日)
http://archive.is/6C4oK
そして、このイノベーションのお話は、他にも私たち武道家に修行の心構えも教え示していました。
みなさまご存知の大リーグで大活躍のイチロー選手の野球に取り組む姿勢で興味深い話があります。イチローにとって、敵とは投手や相手チームでなく自分自身。少年時代より、ひたすら理想のバッティングを追い求めて地道な努力を積み重ね、パワー主体だった大リーグに技とスピードのイノベーションを巻き起こしたイチローがあるのです。
そんなイチローですが、過去、一度だけ大きく調子を崩した時がありました。それはゴジラ松井選手が大リーガーに来た時。理想のバッティングを求め自分に勝つことを目指していたのが、始めてライバルに勝とうと松井選手を意識してしまったのです。しかし流石はイチロー、すぐに軌道修正して松井選手という外観に囚われず、再び修行者としての自己研鑽に戻ります。
ライバルは自分自身、理想のバッティングを目指して精進努力。
これがイチローが野球選手と言うより修行僧と評される理由です。未完成で未熟な己を見つめ、理想を目指して日々鍛練。一歩また一歩と努力を積み重ねていく。スポーツも、勉強も武道も、日々の地道な精進努力の積み重ねの先に大きな飛躍、イノベーションが起こるのです。
私たち武道家もイチローに学び、進歩向上を喜びとし尊しとして、日々の稽古に重きを置いて修行しなければいけません。稽古とは「内観」すること。武道は心技を磨き徳に至る「道」ですから!
ところで極真時代の話ですが、ヨーロッパでは多くの選手が、大会出場などを機に現役を引退すると空手を辞めてしまうそうです。この話を聞いた時、彼らは名誉・名声のために競技・スポーツとして空手をトレーニングし、武道として『空手』を修行していないと感じました。当然、『引退』という言葉にも違和感を感じます。
大会や昇級/昇段は、節目であり精進努力の糧であって、目的ではありません。
何より大切なのは日々の稽古であり、向上心が途絶えることは、武道家としての「道」が途絶えることに他なりません。
私が師事した大山泰彦最高師範しかり、高見成昭総師しかり、いまだ「道」を極めようと稽古しております。また、昇段合宿に参加した75歳の藤田誠一参段をはじめ、心技を極め悟ろうと弛まぬ向上心を持って稽古に取り組んでいる道心(みちごころ)ある多くの壮年部の方々がいらっしゃいます。皆さま「道」に生きているのです。
『 蝸牛(かたつむり) 登らば登れ 富士の山 』
山岡鉄舟
高見空手一門の皆さまには、正月は武道修行の原点に立ち戻って、今年一年、空手道に邁進して頂けたらと思います。
武道の心は徳の端なり 日々鍛練を宗とせよ
高見彰 押忍!