初めて道場へ行った日、空手を修行されている人なら皆さんいつまでも覚えている事と思います。
このドアの向こうには壮絶な世界がある、そんな気持ちで道場に行かれた方も多いことと思います。
私もそんな思いで高見空手の前身である極真会館高見道場のドアをあけました。
しかし、そんな私の想像とは全く別の光景がそこにはありました。「きみ、上手くなったね!とてもいいよ!」小学生の頭を優しくなでている笑顔の指導者がいました。それが今から30年前、高見成昭総師と私のはじめての出会いでした。
時代は昭和でした、まだお金も車もなく古い自転車をこいで稽古にかよいました。森松道場の平松伸彦師範、廣子師範御夫婦の後輩として、私の空手人生がスタートしました。
そんな私がやがて黒帯を許され、東京体育館で開催されている全日本大会にまで出場させていただけるとは、その時は私自身もまわりの人たちも思ってもいませんでした。
入門当初の私は「緑帯ぐらいで適当に辞めてやる」そんないい加減な気持ちで通っておりました。
時代が昭和から平成に変わり数年後、アメリカから帰国された最高範士と出会いました。それから共に活動を続けて行く中で、空手道に対する考え方、勝負へのこだわりなど多くを学ぶことが出来ました。最高範士も私もまだまだ年齢的にも体力的にも若く、試合に夢中の頃でした。
最高範士との稽古に夢中になっていたそんなある日、小学生の少女から「せんせい、からてをおしえてください!」と突然言われました、正直驚きました。
私を初めて「先生」と呼んでくれたこの少女(茂井亜矢香)が私の一番弟子であり、黒帯も取ってくれました。茂井との出会いがきっかけで、総師の認可を受け、極真会館愛媛県支部大西分支部(後の、空手道 高見空手大西道場)がスタートしました。まだ、大山倍達総裁(極真会館総本部)も生きておられた時代でした。
それからは、本当に人に恵まれてここまで来れました。私のまわりの人たちは、いつでも優しく温かく支えてくれます。苦労を感じたこともあまりなく感謝の気持ちでいっぱいです。
長く空手を続けると言うことは、当然ながら年齢も重ねると言うことになります。高見空手には藤田先生(74歳/本部指導員)はじめ生涯空手道を邁進されている大先輩方が大勢おられます。
今年より金澤貴師範(最古参のお一人/南郡)のご提案により「壮年部昇段審査合宿」が行われることになりました。
この審査も私には、まだまだ関係ない、もっと上の大先輩方のことだと思っていた所、そんな私の背中を昇段審査に向けて強く押してくれたのが、今回一緒に受審された眞田一治師範(下波)でした。
正直、私が受審して良いものか迷いましたが、最高範士の「合格、不合格は指して問題ではない。合格する気で稽古をする日々の生き方が大切である」との教えもあり、受審に挑戦しました。
受審する以上は、全ての項目で高得点を獲得し、見ている全ての人に文句なく合格だ!と思ってもらうため、強い意志で稽古するも膝を痛めてしまい、そして当日に挑むことになりました。
当然審査は甘くなく、型が終わった時点では体力は残っておらず、その後の拳立てと組手を完遂出来るのだろうかと気力が無くなりかけた時に、大切な弟子達の顔が思い浮かんできました。
最後の組手は若い中里真也師範(本部内弟子出身)に完敗でしたが、大切な弟子達のお蔭で最後までやり遂げることができました。
最後に自分に任された、高見空手道場訓を堂々と言い終えた時、心の中で、ついに私の壮年部としての空手人生がスタートしました。
昇段を許可して頂いた高見成昭総師、高見彰最高範士に心から御礼申し上げます。
最後に大切な私の弟子たちへ
君たちを想う気持ちは誰にも負けません。
先生を信じてこれからもついて来てください。押忍