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無偏無党、王道堂々たり矣

 今回は『中庸の徳』と『勝海舟のお手紙』のショートコラムです/

 以前、私(高見彰)は、コラムで子供たちは勉強とスポーツのどちらに偏ることなく「文武両道」で両方とも頑張るのが「中庸の徳」と述べました。
 その後、コラムを読まれた古典に詳しい知人より『中庸の徳』について教えて頂きましたので皆さまにご紹介いたします。

 私はいままで『中庸の徳』を「バランスが大切」位に単純に考えていましたが、実はバランスだけではなく「如何なる状況や環境でも、的を得た最善の考え方や行動が出来る徳」を意味しているのだそうです。
 そして四書の中で『中庸』が最も難解で最後に勉強する本とされ、孔子は人格者であっても絶えず中庸ある行動をするのは難しいと仰られているそうです。

子曰く、
中庸の徳たるや、其れ至れるかな。民鮮(すく)なきこと久し。(論語より)

(概意:中庸は最上の徳です。しかし実践できる人を見かけなくなってしまった。)

 
 私自身、理解が至らない部分が多いのですが、お話を聞いて思い浮かべたのが江戸城無血開城のために勝海舟が山岡鉄舟に託した西郷隆盛宛ての手紙にある有名な冒頭文です。

『 無偏無党、王道堂々たり矣 』

※「矣」は、確認・断定を表す置き字で発音しません。

この言葉、凄くカッコいいと思いませんか? 敗軍の将が勝軍の将に宛てた手紙とは考えられない位に威風堂々とした文書で、私は大好きです。

「無偏無党、王道堂々たり矣」は、まさに中庸であり、
「俺は(尊王攘夷とか佐幕とか)思想や主義主張には偏らず、どの徒党にも属さない。ただ日本国の将来と人々の幸せのために王道を堂々と実践しているが、お前はどうなんだ?」
という西郷どんへのメッセージが込められているのではないでしょうか。

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 それでは最後に、知人から教えて頂いた「道」を志す修行者が何度も繰り返し素読して悟らなければいけない『中庸』の重要な一節をご紹介いたします。この言葉は、古代中国の聖王である舜(しゅん)が禹(う)に王位を禅譲する時に伝授した訓戒です。

人心惟危 (人心これ危うく)
道心惟微 (道心これ微なり)
惟精惟一 (これ精これ一)
允執厥中 (まことにその中をとれ)

・概意
人心(欲・煩悩)には危うさがあり、道心(道を求める心)は微かである。
この心の中にある二つの声を聞き分けて真(最善)の道を執りなさい。
 
高見空手も『無偏無党、王道堂々たり矣。』に倣い、人心に惑わされ偏ることなく、道心に従って日本武道空手道という天下の王道の真ん中を堂々と歩んでいきたいと思います。

~ 無偏無党、『武』の王道堂々たり矣 ~
高見彰 押忍!

参考:勝海舟が山岡鉄舟に託した西郷隆盛への手紙

 無偏無党、王道堂々たり矣。今官軍鄙府(ひふ:江戸のこと)に逼(せま)るといえども、君臣謹んで恭順の道を守るは、我が徳川氏の土民といえども皇国の一民なるを以ての故なり。且つ皇国当今の形勢は昔時に異なり、兄弟牆(かき)にせめげどもその侮りを防ぐの時なるを知ればなり。

 然りといえども鄙府四方八達、士民数万往来して、不教の民、我主の意を解せず、或はこの大変に乗じて不軌を計るの徒、鎮撫尽力余力を残さずといえども、終にその甲斐無し。今日無事といえども、明日の変誠に計り難し。小臣殊に鎮撫力殆ど尽き、手を下すの道無く、空しく飛丸の下に憤死を決するのみ。

 然りといえども後宮の尊位(静寛院宮、あるいは天璋院か)、一朝この不測の変に到らば、頑民無頼の徒、何等の大変牆内(しょうない)に発すべきや、日夜焦慮す。恭順の道、これにより破るといえども、如何せむ、その統御の道無き事を。唯、軍門参謀諸君、よくその情実を詳らかにし、その条理を正さんことを。且つ百年の公評を以て、泉下に期すに在るのみ。

 嗚呼痛ましいかな、上下道隔たる。皇国の存亡を以て心とする者少なく、小臣悲歎して訴えざるを得ざる処なり。その御処置の如きは、敢えて陳述する所にあらず。正ならば皇国の大幸、一点不正の御挙あらば皇国瓦解、乱民賊子の名、千載の下、消ゆる所なからむか。小臣推参して、その情実を哀訴せんとすれども、士民沸騰、半日も去るあたわず。ただ愁苦して鎮撫す。果たしてその労するも、また功なきを知る。然れども、その志達せざるは天なり。ここに到りこの際において何ぞ疑いを存せむや。恐惶謹言。

三月五日
参謀軍門下
勝 安房

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