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NHK大河ドラマ『花燃ゆ』のセリフと『孟子』の言葉

 ショートコラムです。
 平成27年1月よりNHK大河ドラマ『花燃ゆ』(主演:井上真央)が始まります。主人公の文(ふみ)は吉田松陰の妹で、松下村塾の門下である久坂玄瑞の妻となり、激動の明治維新を生き抜いて行くドラマです。

▼NHK大河ドラマ『花燃ゆ』
http://www.nhk.or.jp/hanamoyu/

 このドラマの準主役である吉田松陰の精神的バックボーンには『孟子』があり、先日、発表しました高見空手の道場訓も『孟子』の四端説がベースです。高見空手と吉田松陰は、『孟子』繋がりなのです。

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 1855年、ペリーの船に乗り込んで密航を企てた吉田松陰は、野山獄に幽囚され、牢屋の中で囚人たちに『孟子』を講義しました。この時の講義録『講孟箚記』(こうもうさつき)は、今なお大人気の名著です。当然、松下村塾でも『孟子』は講義されました。

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 皆さまには、NHK大河ドラマ『花燃ゆ』の放送に先駆け、吉田松陰を奮い立たたせた『孟子』の言葉や故事成語の一部を以下の通りご紹介させて頂きます。

━━ 孟 子 ━━━━━━━━━━━━

『惻隠の情』

・語源
 「惻隠の心は仁の端なり」
・参考
 言わずと知れた高見空手の道場訓の第一条です。私の大好きな言葉ですが、語源が孟子だったことは道場訓を考える過程で初めて知りました。

『五十歩百歩』

・語源
 「甲を棄て兵を曳きて走ぐ。 或いは百歩にして後に止まり、或いは五十歩にして後に止まる。 五十歩を以て百歩を笑はば、則ち何如」

『匹夫の勇』

・意味
 思慮が浅く、ただ腕力に頼り血気にはやるだけのつまらぬ勇気。
・語源
 「王、請う小勇を好このむこと無なかれ。夫れ剣を撫し疾視して曰く、彼悪くんぞ敢えて我に当らんや、と。此れ匹夫の勇、一人に敵する者なり。」

『似て非なる者』

・語源
 「似て非なる者を悪む。ゆうを悪むは其の苗を乱るを恐るればなり」

『去る者は追わず、来る者は拒まず』

・語源
 「それ予の科を設くるや、往く者は追わず、来る者は拒まず」

『彼も人なり、我も人なり。』

・語源
 「舜も人なり。我もまた人なり」

『俯仰天地に愧じず』
『仰いでは天に恥じず、伏しては地に恥じず』

・意味
 やましいところがない。天地に恥じない。
・語源
 「仰いで天に愧じず、俯して人に怍じざるは、二の楽しみなり」

『自ら反みて縮くんば、千万人と雖も吾往かん。』

・意味
 自ら省みて良心に恥じなければ、(敵が)千万人いようとも恐れることなく向かっていく。

『至誠にして動かざる者は、未だこれ有らざるなり。』

・意味
 誠意を尽くして事にあたれば、どのようなものでも必ず動かすことができる。
・参考
 安倍首相の「座右の銘」であり、吉田松陰に大きな影響を与えた言葉のひとつです。NHKドラマ『八重の桜』では吉田松陰(小栗旬)の台詞になりました。また、孟子の「至誠」の教えは、以下の言葉の語源にもなりました。

「至誠通天(至誠天に通ず)」吉田松陰

「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」西郷隆盛

「人は至誠をもって四恩の鴻徳を奉答し、誠をもって私を殺して万機に接すれば、天下敵なきものにして、これがすなわち武士道である。」山岡鉄舟

『天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず。』

・意味
 天の与える好機は地理的な有利さに及ばず、地理的有利さも人心の一致には及ばない。

『道は爾(ちか)きに在り、而るにこれを遠きに求む。事は易きに在り、しかるにこれを難きに求む。』

・意味
 道は近く(日々の生活)にあるのに、かえってこれを遠くに求めてしまう。簡単な事であっても、かえってこれを難しく考えてしまう。

『力をもって人を服するのは、心から服するにあらず。徳をもって人を服するは、喜んで真に服するものなり。前者を威服といい、後者を心服という。』

・参考
 孟子は「心服」と「威服」の違いにより「王道」と「覇道」の違いも説いています。

『天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志を苦しめ、其の筋骨を労し、その体膚を餓やし、其の身を空乏し、行ひ其の為すところに払乱せしむ。 心を動かし、性を忍び、その能はざる所を曾益せしむる所以なり。』

・意味
 天が人に大任を授けようとするときは、必ずまずその人の身心を苦しめ、窮乏の境遇におき、何を行ってもすべて失敗をさせて、わざわざその人を鍛えるものなのである。つまり、不運は天の試練として受け止めるべきものなのである。
・参考
 これも吉田松陰に大きな影響を与え、苦境に陥った松陰を奮い立たせた言葉です。

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いかがでしょうか?

 他にも『浩然の気』『読書尚友』『仁者は敵なし』や奨学金の名称の『育英』など数多くあり、日頃、私たちが使う言葉からも孟子が日本文化に溶け込んでいることがわかります。

 孟子の言葉や教えは、ドラマ『花燃ゆ』で吉田松陰や久坂玄瑞、高杉晋作、主人公の文のセリフにもなっていると思いますので、是非、楽しみに見てください。

━━ 1/5 追記 ━━━━━━━━━━

 昨日の第一回目の放送で文(ふみ)の子役(山田萌々香ちゃん)が小田村伊之助(後の楫取素彦、群馬県初代県令)に言った長い台詞は、以下の『孟子』滕文公章句上の一節で、舞台となった長州藩の藩校「明倫館」の命名の由来です。

「庠序学校を設け為して、以って之を教う。庠は養なり、校は教なり、序は射なり。
夏には校といい、殷には序といい、周には庠といい、学は則ち三代之を共にす。
皆、人倫を明らかにする所以なり。人倫、上にて明らかにすれば、小民、下にて親しむ。
王者起こること有らば、必ず来りて法を取らん。是、王者の師為るなり。」

・概意
「学校を作って人の道を教えなければいけない(人倫を明らかにしなければいけない)」

━━ 1/14 追記 ━━━━━━━━━

私の好きな孟子(吉田松陰)の一節
「至誠にして動かざる者は、未だこれ有らざるなり」ですが、何故かNHK大河ドラマ「花燃ゆ」のセリフやBSの番組紹介テロップでは、
「至誠にして動かざるは、未だこれ有らざるなり」と、「者」が抜けています。

原文には「至誠而不動者未之有也」と「者」があるためNHKのミス?と思いましたが、以下の情報を見つけました。

▼Yahoo!知恵袋
http://jump.cx/scwwW

漢文で「者」は、人を表す場合と、それ以前の文が主語になることを表す助詞の場合があり、両方とも正解になるそうです。勉強になりました。

◎至誠にして動かざる者は、未だこれ有らざるなり。
◎至誠にして動かざるは、未だこれ有らざるなり。

━━ 1/19 追記 ━━━━━━━━━

1月18日放送のセリフに、孟子でなく王陽明の『知行合一(ちこうごういつ)』(伝習録)がありました。

※意味:知識と行為は一体である。本当の「知」は実践を伴わなければいけない。

 高見空手 道場訓は、「孟子の四端説」とともに王陽明の「知行合一」と並ぶ教え「事上練磨(事上磨練)」がベースなので、NHKドラマ「花燃ゆ」のセリフで孟子と王陽明の教えが使われるのは大変嬉しく思います。

 また、お世話になっている郷田道場時代のS先輩と同じ下宿のM先輩が山口県萩市の出身であることを思い出しました。そして偶然、教えて頂いたのですが藩校の明倫館は、現在、萩市立明倫小学校となり、毎日、子供たちは吉田松陰の教えを朗唱しているそうです。

▼明倫小学校
http://edu.city.hagi.lg.jp/meirin-e/

 これは素晴らしいと思います。昭和初期まで行われた論語はじめ四書の素読のようです。

 明倫小学校の子供たちが朗唱する文書量には及びませんが、高見空手の小学生たちも稽古の終わりに元気な声で道場訓を唱和し、早くも孟子の四端説「惻隠の心は仁の端なり…」を覚えてしまいました。当初、子供たちには漢文の書き下し文のある道場訓は難しいかなと心配しましたが私の杞憂でした。改めて子供たちの能力と可能性に驚かされました。
押忍!

━━ 2/8 追記 ━━━━━━━━━

今日の放送の孟子の言葉を追記します。

『万物皆我に備わる。身に反りみて誠あらば、楽これより大なるはなし。恕を強(つと)めて行う、仁を求むることこれより近きは莫し。』

・意味
万物の道理は皆自分の本性に備わっている。(四端の心など、人生に必要なものは自分に気が付かないだけで、生まれながらにして既に備わっている。)自分を省みて誠実であれば、これ以上の大きな楽しみはない。思いやりを持って行動することは、仁を修得する最も近い方法である。

また、先に紹介した明倫小学校の朗唱がテレビで紹介されて驚きました。

━━ 3/8 追記 ━━━━━━━━━

3月8日放送のオープニング部分での吉田松陰と文との会話

「天下の苗を助けて長ぜしめざる者は寡なし」

原文;天下之不助苗長者寡矣
意味;世の中には苗の成長を無理に助けたりしない(賢明な)者は少ない。

は、『孟子』公孫丑章句上の「浩然の気」の解説にある言葉で、
「助長」(成長を促すために助けて、かえってダメにしてしまう)の語源になりました。

・書き下し文
天下の苗を助けて長ぜしめざる者は寡なし。
以て益無しと為してこれを舎つる者は、苗をくさぎらざる者なり。
之を助けて長ぜしむる者は、苗を揠く者なり。
徒ただに益無きのみに非ず、而も又之を害ふと。

・現代訳
(苗の成長を促すために引っ張って、逆に枯らしてしまった例え話を挙げて)
世の中には、苗の成長を無理に助けたりしない(賢明な)者は少ない。
無益だと考えてこれを放棄する者は、いわば畑の雑草取りをしない者である。
無理に成長させようとする者は、いわば苗を引っぱる者である。
これらは無益であるだけでなく却って害をなすのである。

━━ 4/20 追記 ━━━━━━━━━

昨日の放送の吉田松陰の言葉を追記します。
(実は私は録画せず見損ねたので、友人に新しい言葉を教えてもらい追記しました)

『恒の産なくして恒の心ある者は、惟だ士のみ能くすと為すと。此の一句にて士道を悟るべし。諺に云ふ、武士は食はねど高楊枝と、亦此の意なり』

・解説
孟子の「恒の産なくして恒の心ある者は、惟だ士のみ能くすと為す。民の若ごときは則ち恒つねの産無くして、因って恒の心無し」の吉田松陰による解説です。概意は、生活が困窮しても心乱れず定まるのは学問修養した士のみである。この(孟子の言葉)から武士道を悟りなさい。

『学は人たる所以(ゆえん)を学ぶなり。』

・意味
学問とは、人の道を学ぶことだ。

これは孟子でなく、吉田松陰の言葉(松下村塾記)です。

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