一に曰く、
惻隠の心は仁の端なり 拳魂歌心を宗とせよ
二に曰く、
廉恥の心は義の端なり 信義誠実を宗とせよ
三に曰く、
辞譲の心は禮の端なり 礼譲親和を宗とせよ
四に曰く、
是非の心は智の端なり 勉励修養を宗とせよ
五に曰く、
武道の心は徳の端なり 日々鍛練を宗とせよ
道場訓は、空手道を通して四つの徳目『仁』『義』『礼』『智』を修得して、人徳のある立派な人になって欲しい、という願いを込めて作りました。まだ草案の段階ではございますが、今後、関係者の方々と打ち合わせして推敲を重ねて最終決定する予定なので宜しくお願い申し上げます。
空手道 高見空手
最高範士 高見彰 押忍!
<語義、他>
※端;諸端、ものごとの初め
読み方は「たん」と「はじめ」の2通りありますが、道場訓では「たん」と読みます。
例)「端を発する」「先ず我より事の端を開き」(福沢諭吉:学問のすゝめ)
※拳魂歌心;正拳コラム「剣魂歌心」を参照。
※信義誠実;信頼にそむかず真心をもって誠実に行動すること。
※礼譲親和;礼儀正しく謙虚で和やかに親しみ、仲よくすること。
※勉励修養;学業に励み知性を磨き、人格形成につとめる。刻苦勉励し修養すること。
高見空手の道場訓は、第一条から第四条が『孟子の四端説』による『仁』『義』『礼』『智』の四つの徳目の修得、最後の第五条は総括として『王陽明の事上練磨』にならい『武道家は、武の練磨で徳に至る』の納めで、五部構成となっております。
この道場訓を一言で表現すれば『武から入り徳に至る』になり、『仁義礼智』を『真(真実の道)』と言い換えれば『真を極める』になります。
大山倍達総裁は、著書「極真の精神」において、次のように述べられております。
『心を極める、道を極めた心という意味で「極心」という名前を考え、道場生たちに諮ったところ…(中略)…、それではと考えたのが「極真」の名である。
心を極めるとは、すなわち真実を極める、真実の道を極めるということである。武道を通じて真実を極めることを決意した集団とすれば、自分の念願に叶うと思った』
また『千日をもって初心とし、万日をもって極みとする』とは、宮本武蔵の「五輪書」にある
『千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって練とす』が元で、これが武道における「鍛練」とも言われます。
このように高見空手 道場訓は『孟子の四端説』と『王陽明の事上練磨』によるものですが、同時に大山倍達総裁の精神をも受け継いでいるのです。
その由来を様々調べましたがわかりませんでした。ただ推測として、戦国時代の終わり、徳川家康が戦闘が本分の武士を道徳によって統治するために儒教を国学として導入し、これが機になっているのではと推測しました。
家康の施策によって江戸時代の武士たちは、四書五経(論語、大学、中庸、孟子、易経、書経、詩経、礼記、春秋)を学び、素読を行うようになります。武家の子供たちは、意味のわからないまま四書五経を素読し、成長と共に人生経験を通じて四書五経の理解を深めていきます。
私は、この武士たちの四書五経の素読が形を変えて、儒教のエッセンスが箇条書きの道場訓となって唱和するようになったのではないかと考えました。
また山岡鉄舟は、武士道を「神儒仏三道融和の道念」と述べます。
・神 ⇒ 剣魂歌心などの精神文化
・儒 ⇒ 道徳、倫理、行動規範
・仏 ⇒ 莫妄想などの禅による境地・悟り、心のコントロール
やはり道場訓は、この三道のうち『儒』の教えの箇条書きが本来の姿ではないかと思います。
ところで儒教は別称『孔孟の教え』とも言われ、孔子と孟子の二人の教えが中心です。そして儒教を簡単に言えば、五常(五徳)である『仁』『義』『礼』『智』『信』を磨いて立派な人間(聖人君子)になりなさいという教えです。
参考に滝沢馬琴の小説『南総里見八犬伝』では、『仁』『義』『礼』『智』『信』の五常に『忠』『孝』『悌』を加えて八徳にし、八犬士(八剣士)が活躍するのは皆さまご存知の通りです。
そこで当初、私は、五常の徳目ごとの条項による道場訓の構成として
一、吾々は仁を………こと
一、吾々は義を………こと
一、吾々は礼を………こと
一、吾々は智を………こと
一、吾々は信を………こと
のスタイルで幾度となく執筆を試みました。しかし、私の文才では稚拙な文書しか書けず、何ヶ月も呻吟してしまいました。「ペンは剣より強し」と言いますが、本当に道場訓の執筆がここまで大変で苦しむとは想像できませんでした。
その時、たまたま先輩から五常のうち「信」は、前漢の時代に董仲舒(とうちゅうじょ)が五行説に合わせて後から付け加えたもので、本来は「孟子の四端説」にあることを教えて頂きました。思えば「信」は「義」に含んでもよいと思います。
儒教に於いて孟子(紀元前372年生まれ)は、孔子に次ぐ重要な人物で亜聖と呼ばれる聖人、「孟母三遷の教え」のエピソードが有名です。
また伝説として、孟子には革命思想があり天皇制の日本に孟子を持ち込もうとする船は沈没するという伝説がありますが、これは明らかな誤訳で孟子に革命思想はなく、平安時代より天皇や貴族など日本の知識人の間ですでに受容されていました。
そして明治維新の志士たちは孟子の影響も受け、吉田松陰の松下村塾の教えも孟子が中心、松陰による孟子の講義録『講孟箚記』(講孟余話)は、今も人気の素晴らしい名著です。
孟子は、孔子の教えを進化させて、人間は生まれながらにして次の四つの心(感情)があると説きました。(性善説)
「惻隠」(優しさや哀れみ、慈悲の心)
「羞悪(or廉恥)」(卑怯・卑劣・不義理・悪を憎む心、恥を知る心)
「辞譲」(譲ってへりくだる心)
「是非」(善し悪しを見分ける心)
この四つの心が『仁』『義』『礼』『智』への端緒だから、この四端を育み伸ばして徳を身につけて立派な人間(聖人君子)になりなさい!という教えが「四端説」です。
また、『仁』『義』『礼』『智』を身につける過程で養われる強い精神力が『浩然の気』であり、この徳を実践できる人を『大丈夫(特に立派な人)』と呼びます。
■『孟子』公孫丑章句上
惻隠之心仁之端也 ( 惻隠の心は仁の端なり )
羞悪之心義之端也 ( 羞悪(or廉恥)の心は義の端なり )
辞譲之心禮之端也 ( 辞譲の心は禮(礼)の端なり )
是非之心智之端也 ( 是非の心は智の端なり )
空手道の修行を通じて四つの心(四端)を磨き、『仁』『義』『礼』『智』を修得して立派な人間になる。この「四端説」こそ高見空手の道場訓に相応しいと考え、私は上記の書き下し文を現代風にアレンジしてわかりやすくなるよう書き始めました。
ところが先輩より
「難しいからといって聖人の文章を凡夫である僕たちが書き直してはいけない。昭和初期まで子供たちは論語を意味も分からず素読したのだから」と、厳しくご指導して頂きました。
その結果、孟子の四端説の書き下し文を道場訓の上の句として、そのまま使わさせて頂くことにしました。
なお道場訓と云う性質上、外向けの意味のある「羞悪」でなく、修行として自分に向けられた「廉恥」を選びました。また「惻隠の情」の語源も四端にあります。
子供たちにとって、古典(漢文の書き下し文)は大変難しいとは思いますが、素読の習いも考え、稽古後の道場訓の唱和は子供たちにもよい効果があると思います。また『礼譲親和』など校訓にしている中学や高校もあり、子供たちは、成長とともに後から言葉の意味や理解が深まっていくと考えております。
ところで皆さまは『道』とは何か説明できますでしょうか?
世の中では様々な先生方が「道」を説かれている一方、「道」そのものを明快に解かれている方は非常に少なく、抽象的な概念のままです。
私が教えて頂いたのは『儒』の側面からの「道」とは、
「仁・義・礼・智を磨いて聖人君子に至る過程」であり、道の目的地が聖人君子です。
また、今治道場の南條師範が、FaceBookで次のように語っていました。
「叩いて蹴って『強い人』それも空手には大切だと思いますが・・・相手を倒して勝つ強さではなく『勇気』『礼儀』『孝行』の精神を持つ人こそが人生のチャンピオンだと思っております」
この「叩いて蹴って強い人」と「人生のチャンピオン」が武術と武道の違い、『道』があるかないかの違いです。
では、どの道を歩んで立派な人になるのか。王陽明は『事上練磨』を提唱しました。これは「徳」というものは机上で学ぶのでなく、仕事を始め生活の実践を通じて磨くことが大切という考え方です。(陽明学)
学生は勉強を通じて徳を磨く
営業マンは営業の仕事を通じて徳を磨く
職人は、モノ造りを通じて徳を磨く
…
そして、私たち武道家は「武の鍛練を通じて徳を磨く」から「武道」と「道」が付くのです。
そこで王陽明の「事上練磨」より、道場訓の最後を総括として
『 五に曰く、武道の心は徳の端なり、日々鍛練を宗とせよ。 』
としました。尚、五輪書に倣い「鍛錬」でなく「鍛練」としました。
こうして高見空手 道場訓は、一条から四条までが四端説による徳目ごと、最後の五条が総括として「徳」による納めの構成で、全体を一言で表せば『武から入り徳に至る』となります。
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道場生の皆さまには、大変お待たせしましたが、様々な紆余曲折・試行錯誤の末、やっと道場訓の草案を公開できるところまで辿り着くことが出来ました。
これからは関係者の方々と打ち合わせして草案を推敲し、高見空手の道場訓を完成させたいと思います。最後に道場訓の草案を作成するにあたり、様々アドバイスして頂きました先生と先輩諸兄のみなさま、ありがとうございました。
空手道 高見空手
最高範士 高見 彰 九拝