今回の正拳コラムは、アレキサンダー・ベネット著『日本人の知らない武士道』を日本人の私(高見彰)がレビューします。この本は、前回のアンパンマンコラムの最後に紹介しましたが、皆さまは読まれたでしょうか?
もし、これから読まれる予定の方がいらっしゃいましたら、以下は『ネタバレ』になりますのでご注意ください。
---著者略歴---
アレキサンダー・ベネット
関西大学准教授。1970年、ニュージーランドのクライストチャーチに生まれる。87年に交換留学生として初来日、千葉県の高校の部活動で剣道を始めたのをきっかけに武道に惹かれ、武士道にも深い関心を抱くようになる。カンタベリー大学卒業、同大学院修士課程修了、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了、カンタベリー大学博士課程言語文化研究科日本文化修了。国際日本文化研究センター助手等を経て09年より現職。剣道錬士7段、居合道5段、なぎなた5段。
※「BOOK著者紹介情報」より
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この本は、友人から教えて頂いたのですが、アレキサンダー・ベネットさん(以下、アレックさん)には読む前から親近感を感じました。
それは、極真会館の郷田勇三師範(現・最高顧問)の内弟子時代、米アラバマの大山泰彦師範の元からペリー・バネット先輩という方が空手留学で来日し、田端道場で一緒に汗を流しました。
その後、今度は私が渡米することになるのですが、ペリー先輩には公私に渡り大変お世話になりました。このペリー先輩の「バネット」と「ベネット」と、名前の「バ」と「ベ」の1文字違いに妙な親近感を覚えたのです(笑)
そして本書を読み終え、予想通りの素晴らしい良本でした。試合に対する考え方やスポーツと武道の違い、残身(残心)の考え方、衰退する日本武士道への憂いなど共感する部分も多く、大変勉強になりました。
古典はじめ万卷の書を訪ね、ここまで学術的に「武士道」に迫った方はおられないのではないかと思います。
武士道に真摯に向かい、西洋人ならではの理論的アプーローチで研究されて、武士道とは何かを明解に述べられるアレックさんに頭が下がる一方で、本来、これは私たち日本の武道家がやらなければいけなかったことでは?と、悔しさと寂しさを感じました。
素直な心でこの『日本人の知らない武士道』を多くの方々に読んで頂きたく強く願います。
また日頃、私より
「トロフィーとか賞状を貰う為に稽古しているんじゃない!」
「人を尊敬し、思い遣りの精神を養うのが武道の試合である」
など言われている高見空手門下がこの本を読んだら、思わずニヤッと笑うかもしれません。その位、随所に共通する部分がありました。
「残心」については、極真会館時代より高見道場では「ガッツポーズ」「胴上げ」を禁止致しております。理由は、アレックさんが書かれている内容と全く同じです。
「勝っておごらず負けて悔まず」も高見総師からは選手の心構えとして、ことあるごとに指導を受けてまいりました。
また、大山泰彦最高師範からは「心をコントロールすることが武道だ」と毎日ご指導頂いておりました。(口癖か、と思うほど言って頂いておりました)
アレックさんが武士道研究を志したキッカケは、知人からの武士道への質問に漠然としか答えられなかった体験と言われている所に、私のアメリカ修業時代と重なりました。私がアメリカ修行で感じたことに、アメリカ人道場生の方が「武士道」「日本文化、武道精神」について強い関心を示される方が多くおられました。これは最近の空手を「競技」として捉えている日本人と対照的でした。
アメリカ人道場生が空手に求めるものは、日本人以上に武道・武士道精神でした。彼らは敬意の念を持って稽古し、少しでも空手をマスターして武士道の神髄に触れようと様々質問してきました。私は彼らの求めに何処まで応えられたのか、今更ですが反省しきりです。
書きものでは素人の私が恐縮しますが、欲を言えば『道』という概念からのアプローチがあれば、本書に深みが増すと思いました。
また、アレックさんは「武士道は日本固有の精神文化」という主張には与しないと述べられています。
私は、武道に限らず、書道も華道も何でも『道』として取り組む精神性こそが日本人固有の文化と思います。この『道』を抜きにして武士道や日本文化は語れません。
他にも「礼儀とエンパシー」の部分も、「礼儀」とは少し違うように感じました。最近の空手大会に於いてよく見受けられる事ですが、勝った選手が試合終了後、負けた選手の所に「有難うございました!」と笑顔で挨拶している姿に「無慈悲」を感じております。
「有難うございました」もタイミングと言葉に込められた想いです。
空手に命をかけて修行して負けた選手ほど、負けは本当に悔しいし苦しいんです。私の弟子には、勝者は自分に負けた相手のことを想うなら、全力で次の試合に集中し、必ず勝て!と指導致しております。 敗者に声をかけられるのは共に稽古した師匠と仲間と何より大切な家族だけだと思います。「残心」と「慈悲の心」表裏一体のように思います。
やはり学問の切り口で「武士道」を理論的に理解するには限界があるのも事実です。以前、正拳コラムで述べた通り「道」と名付くものには「不立文字」「教外別伝」が存在します。
また山岡鉄舟は、武士道を「神。儒。仏。三道融和の通念」と述べました。
アレックさんは、武士道を理解するために何千冊と云う本を徹底研究されました。しかし更に深く探究しようとしたら山岡鉄舟が指摘する「神」「儒」「仏」の世界にまで踏み込まなければならず、そこには「不立文字」という大きな壁もあります。
武士が素読した「儒」の四書五経だけでも深遠な内容で、
「禅」は僧侶が悟るために命がけで取り組むもの、
「神」に至っては日本民族の宗教性や民俗学など「大和魂」に及ばなければなりません。
また、アレックさんの指摘する江戸時代以前の「武士道」においても「神」「儒」「仏」は存在しました。
元寇の北条時宗はじめ鎌倉武士は、禅によって心を鍛えております。南北朝時代「大義」に生きた楠木正成は、宋学を修め、禅にも精通しておりました。もっと昔の万葉集に収められた防人の歌には「剣魂歌心」の精神性があります。
こう考えると研究範囲が、あまりにも膨大で深遠過ぎて、学問的アプローチのみで武士道の神髄に迫るのはキビシイと云わざろうえません。
私は勉強が苦手でアレックさんのようにクレバーでないので学問的に武士道に迫ることは出来ません。しかし武士道は、良き先生や良き仲間との出会い、汗を流す稽古が重要で知識や学問はあくまで修業を補うものとして、先人たちの言語録を読み、その人生や生き様を訪ねておもんばかるなど、多くの『武』に触れていくことが大切と稚拙ながら考えております。
また、山岡鉄舟の剣禅話やベネットさんの本の通り、明治維新前はことさら「武士道」という言葉はなく、武士たちのごく普通の考え方でした。武道教育とは、稽古などを通じて、この精神性を子供たちに伝えることと思うのです。抽象的ですが武士道は、知識として理解するものでなく稽古・修行を通じて心と魂に自然と備わっていく精神性ではないでしょうか。
例えば高見空手では、内弟子の岡田碧依がレポートした「2014夏季合宿」に、岡鼻首席師範の
「家に帰るまでが合宿だから、みんな事故、ケガのないよう気を付けて下さい」
との締め言葉が紹介されています。
▼2014夏季合宿/碧依の内弟子レポート
https://www.karate-do.jp/archives/99.php
ごく普通によく言われる言葉ですが、これが武道でいうところの「残心」です。
岡鼻首席師範は、学問知識から「残心」を意識してお話された訳ではありません。武道家として、自然、普通に話された言葉が結果的に「残心」になっているのです。理論・知識から出た言葉ではありません。
また先日、本部道場の稽古後、74歳の藤田誠一(二段)が入門したばかりの迅(とき)くん5歳に
「頑張って稽古して黒帯になろうな」と、声を掛けていました。
道場と学校の大きな違いは、藤田二段74歳と迅くん5歳の関係が、先生と生徒ではなく、同じ空手道を稽古する先輩と後輩であり、同じ道を歩む同志であり、修行仲間なのです。
道場には、学校や仕事の違う様々な道場生が集まり、性別年齢を超えて一緒に稽古して汗を流し、藤田二段と迅くんのようなハイタッチな交流が行われています。ここに武道教育の一端があります。やはり武道・武士道は、学問・知識として頭で理解するものでなく、稽古はじめ体験を通じて修得するものです。
でも、私が指摘する以上にアレックさん自身が、理論的アプローチによる武士道理解の限界や「不立文字」の存在をわかっていらっしゃるのではないでしょうか。何よりご自身が武道家で実践を重んじており、学問で武道・武士道が説明できたら、ここまで恋して夢中になり、ライフワークとして研究するハズありません。武士道は深遠で奥深いからこそ、生涯を掛けて取り組む価値があるのですから。
この本は、私もアレックさんに負けないくらい武道・武士道に取り組もうと、改めて決意させてくれました。まだ読まれてない方は、是非「日本人の知らない武士道」を蔵書に加えて頂けたらと思います。
最後にアレックさんは、衰退していく日本の武士道精神に対して本書を通じて警鐘を鳴らしてくれました。私は長年、空手道場という現場にいるため、アレックさんと同じように肌で日本の武道や武士道精神の衰退を感じております。
そこで高見空手では、改めて「武道文化の振興と啓蒙」を課題として、微力ながら空手セミナーや演武会を積極的に行って、少しでも多くの方々に空手道の『武』に触れて頂こうと決心ました。
▼セミナー&演武会による「武道文化の振興と啓蒙」活動
https://www.karate-do.jp/archives/110.php
ところで最近、郷田道場時代の先輩と30年前との道場の様子の違いについて話しあったのですが、その時に経済界の『武』をご紹介頂き、目からウロコが落ちました。武士道は、武道の世界のみならずビジネスはじめ様々な世界にも存在していたのです。これは正直、嬉しかったです。
それで次回コラムは上記で触れた「剣魂歌心」を解説させて頂き、その次からは趣向を変えて、ビジネスの世界の『武』も紹介していきたいと思います。
お楽しみにm(_ _)m